毎週日曜は定期健診の日になっている。私の人工脳に異常がないか、検査する日だ。

 本来病院は休診の日だけど、担当の井田先生が私のために特別に開けてくれている。

 健診といっても、私はずっとベッドに横になっているだけだ。頭に電極のようなものをつけられるけど、麻酔なんかされているわけでもないし、先生が電極のつながったモニターを食い入るように見つめながら、何か独り言のようにつぶやいているのを聞いているだけ。

 人工脳のことはまだ病院の中でも公にはされていないのか、健診の時はいつも井田先生ひとりだけだった。他に看護師さんなどのスタッフは誰もいない。だから、室内はいつもしんと静寂に包まれている。

 井田先生はあまりにも真剣な目をしてモニターと向き合っているから、私から何か話しかけたり、質問ができる雰囲気じゃない。そもそも、話しかけても私の声なんて届かないくらいに没頭している。

 この先生のことは、正直よくわからない。

 目が覚めてまだ何も状況がつかめていなかった頃から、よく姿を目にしたな、というのは覚えている。少し落ち着いて、主治医の先生ということと、人工脳を開発・試験をすることを提案してくれた人だというのも聞いた。

 でもその頃から、井田先生のことはちょっと変わった人だと思っていた。

 事故のことはどうせ覚えていないだろうし、思い出す必要もないからと多くは説明してくれなかったし、人工脳の説明も、教科書の文面をそのまま読み続ける学校の先生みたいに、ただ淡々と言葉を並べただけ、という印象だった。

 それなのに――

「よし、問題ない」
 モニターに穴が空くかと思うほど、強く向けていた視線を一旦外して、満足そうに井田先生がつぶやく。心なしか、嬉しそうにも見える。

 先生は人工脳の経過観察をしている時だけ、表情や言葉に感情や抑揚が宿る。自分が開発したという人工脳がうまくいっているのか、何か問題がないか、そういうことにだけ一喜一憂しているんだ。それはまるで、子供の成長を見守る親のようにも思えた。先生自身に、本当の子供がいるのかは知らないけれど。少なくとも左手の薬指に指輪はなかった。

 たぶん、井田先生は私のことには興味がない。興味があるのは、人工脳のことだけだ。

 そういえば、と人工脳のことを説明された時のことを思い出す。

 人工脳は理論上完成しているけど、まだ実際の人間で試したことはない。治験というらしいけれど、実際の人間で試して、十分なデータを積み重ね、そうして有効性が証明されて初めて、本当の完成となる。そう言っていた。

 私が脳の損傷でもう目が覚めないと言われ絶望していたお母さんに、井田先生は人工脳の話を持ちかけた。これを使えば目が覚めるかもしれないと。その代わり、定期健診を通じてデータを取らせてもらうという話をしたらしい。

 その提案をお母さんは受け入れた。

 わらにもすがる思い、ってそういうことなのかな。

 その気持ちがわからないわけじゃない。仮にお母さんが同じような状況になったら、私だってその提案に乗ったと思う。

 結果的に私は目を覚ましたのだから、元の生活に戻れたのだから、すごく感謝している。

「もういいよ」
 電極をすべて外し、井田先生がそう言った。

 私は上半身を起こしながら、足をベッドから降ろす。先生は再びモニターに向かいながら、何かを打ち込んでいる。今日の健診はこれでおしまい。もう帰ってもいい。いつも、そんな感じで終わる。

「あの、ひとつ聞きたいんですけど」
 私はふと、口を開いた。

「何?」
 先生は私の方を振り返らず、モニターを向いたまま聞き返す。

「食生活とかって、気を付けなくても大丈夫ですか?」
「例えば?」
 必要最低限の言葉を投げかけられる。

「私、甘いもの好きで。わりとよく友達と大きなパフェとか食べに行ったりするので」
 すると井田先生はキーボードを打つ手を止め、その手を口元に当てながら何かを考えるような仕草をした。うーん、と小さくうなるような声が聞こえた後、先生が口を開く。

「人工脳に向かう血液の流れは、途中で遮断して人工脳まで届かないように別の血管へつないである。そういう意味では過剰摂取した栄養が脳に影響を及ぼすことはないだろう。ただ、脳を動かすための栄養―ブドウ糖を消費する脳が存在しないわけだから、君の身体はその分エコになっているとも考えられる」
 流れるようにすらすらと言葉を吐き出され、私の処理速度を超えた。

「えっと……つまり?」
「わからないか」
「すみません……」
 呆れたような目を向けられ、思わず身を縮めて頭を下げる。

「基礎代謝が少なくなっていて、食べすぎに関係なく太りやすくなっているかもしれない」
「えっ」
 何となく、結論は理解できて愕然とする。

「……まぁ、好きにしたらいい。好きなものを止めることで逆にストレスがたまって人工脳によけいな負荷がかからないようにしてくれれば……いや、そういうデータが取れるのもおもしろいかもしれないな」
 先生がまたぶつぶつとつぶやきながら考え込んでしまったので、私はそっと部屋を出る。

 甘いものはほどほどにしよう。

 ちょっとショックで、ため息がもれた。