私は『私』なのか。それとも『私』じゃなくなったのか。
しばらくの間忘れていた疑問が、その分を埋め合わせるかのように、頭の中いっぱいに駆け巡る。
本当は自分がずっと疑っていた。自分が一番、信じられずにいた。自分が感じていることが、考えていることが、全部人工的に作られた脳から生み出されていると知って、それはもう『私』じゃなくて、私によく似た存在になってしまったんじゃないかって。
本当の私は、事故に遭う前の私は本当の脳の損傷と共にとっくに消えてしまっているか、まだずっと眠りについたままなんじゃないかって。
だとしたら、私はいったい何者なんだろう。
偽物。私は、高山雪穂の偽物。
阿久津さんの言葉がえぐり込むように私の胸のあたりに突き刺さる。
でもそれは、私が無意識のうちに私自身に投げかけていた言葉なのかもしれない。
私はちゃんと、事故に遭う前の私かな? 何も変わったこと、ないかな?
誰かに確かめたかったけど、怖くて誰にも聞けなかったことだ。
もし何かが違っていたり、私に気を使っていることがわかったりしたら、私の疑念は止まらなくなる。私が私だと、信じられなくなる。
ここ最近のことが楽しくて、考えないようにしてたんだけどな。
ふと気がつくと、いつもの交差点にたどり着いていた。私の運命を変えた場所。今の私にとっての、始まりとなった場所。
どうして、私はこんなところで事故に遭ってしまったんだろう。
改めてこの場所に立って辺りを見回してみると、そう問い詰めたくなった。
ここは交通量は多いけれど、決して見通しが悪いわけじゃない。車が迫ってきていたら、気づかないはずはない。それに、もし事故に遭う前と今の私の考えが変わっていないのなら、軽率に信号無視なんてこともしないと思う。
でも――聞いた話では、私は急に車の前に飛び出したらしい。それが真実なら、非は私にあると言ってもいい。
だからこそ、自分を恨んだ。事故にさえ遭わなければ、こんな思いはしなかったはずなのに。高山雪穂は高山雪穂のまま、毎日をただ平凡に過ごしていたはずなのに。
人通りの多い駅前を避けるように、足の向くまま少し離れた公園のところまでやってきていた。人の姿を見るのが怖い。みんなはきっと本物で、それに比べたら私は偽物。そんな風に、思ってしまいそうで。
平日午前の公園は人影もほとんどなくてほっとした。膝からがくりと力が抜けたみたいにベンチに腰を下ろす。立っているのも辛い。何だかすごく、疲れ果ててしまった。
もう正直どうでもいいかな。そんな考えがふと頭の中をよぎる。
私が『私』であっても、そうでなくても、どうでも。
そうしたら、少し楽になった気がした。その代わり、うつむいた顔からぽたりと涙が地面に落ちた。一粒、二粒、三粒――それ以上は、視界が霞んでわからない。
「……私、誰なのかなぁ」
こぼれた涙を追うように、言葉がもれた。誰か、答えてほしい。
その時、ふと隣に誰かが座った気配がした。
「……え?」
「よかった、早めに見つけられて」
そこにいたのは、愁くんだった。息を切らした様子で、首筋に汗を流しながら、安堵したように笑っている。
「何で……?」
「雪穂たちのクラスが騒がしいなって思って。行ってみたらみんなの様子がおかしかったから琴美に聞いてみたんだ。そしたら、雪穂が飛び出していったって言うから」
「探しに、来てくれたの?」
「当たり前だよ。あまり詳しい状況は聞けなかったけど、琴美も珍しく動揺してたし」
「そっか……そうだよね。ごめんね、心配かけて」
あの場に耐えきれずつい飛び出してしまったけれど、きっと琴美にもずいぶんと心配をかけたに違いない。謝らないといけない。でも、まだ教室に、みんなの前に戻る勇気はでなかった。『私』を見るみんなの視線を想像すると怖い。今まで向けられていたものとは違う、異質なものを見るかのような視線だったらどうしよう。そう思うと、足がすくんだように立ち上がる気力が起きない。
「……何があったの?」
愁くんが、こちらを覗き込むようにして聞いてくる。
私はどう答えようか悩んで、肩を抱くように身を縮めた。
教室で起こったことをそのまま話せば、当然私の人工脳のことも話さないといけない。正直、愁くんにすら話すのは怖かった。どうして今まで黙っていたのと責められたら、君なんて人間じゃないと言われたら、拒絶されたら――悪い想像ばかりが浮かんで止まらない。
もうクラスのみんなには知られているのだから、遅かれ早かれ愁くんの耳にも入ることになるというのに、なぜか躊躇してしまう。
機械でも人間でも、はっきりと区別できるならまだましだったかもしれないのに、今の私はきっとどっちでもない、中途半端で、誰も見たことのない異物なのだと思う。
その時、肩をつかんでいた私の手の先がふいに温かさを感じた。
愁くんが私の手を包み込むように、そっと握ってくれている。
そして彼は私の目をまっすぐに見ながら、言った。
「言いたくなければ、言わなくてもいいよ」
私はほっとしたようで、でもその反面、複雑な気持ちになった。私を気遣ってくれたその言葉は嬉しいけれど、今それに甘えてしまったら、私は自分の抱えるこの秘密を、私自身の口から伝えることができなくなる。
すると、愁くんは私の迷いを察したかのように、続けた。
「……今までの僕だったら、遠慮してそう言ってたかもしれない」
「え?」
「でも、今の僕は話してほしいと思ってる。雪穂のことをもっと知りたいから、教えてほしい。雪穂の悩んでることや、抱えてること。僕はどうしても……雪穂の力になりたいんだ」
指先に触れた愁くんの手に、力がこもる。
どうして、そこまで?
正直、不思議だった。だって私たちはほんの少し前に知り合って、ただ勉強を教えてもらう関係で、ようやく最近お茶をしたり連絡を取り合うようになった程度だ。少しだけ壁が薄くなった友達。まだそれぐらいの距離だと、思っていたのに。
だけど真剣で、力強く向けられたその眼差しに、私は背中を押してもらった。いや、引き寄せてもらった。私は愁くんのことを信じたい。
「……人工脳」
私が決意して口を開くと、愁くんは私に触れていた手を一度離して、自分の膝の上に置いた。真剣に聞くよ、という無意識のサインなんだろう。
「私ね、事故で脳が傷ついちゃって、それで何ヶ月も目を覚まさなかったらしいの」
「植物状態……だったんだよね。それは聞いたことがある」
うん、と私はうなずく。
「ある日、病院のベッドの上で目を覚ました。その時自分に何が起こったのかわからなかったけど、目が覚めてしばらくたってから、教えてもらったの。私の脳は、そのままだとやっぱり目を覚ます見込みはほとんどなかったんだって。だから、開発中だった人工脳……本当の脳の代わりをする機械の脳に、入れ替えたんだって」
私はそう言って、自分の頭の側面をそっと触れる。柔らかい髪の質感。頭蓋骨の、しっかりと固い感触。その向こうに、いまだその姿を知らない、私の生命線がいる。
「人工脳って言われても、どういう仕組みになっているのか詳しくはわかんない。説明されても難しくて、うまく理解できなくて。でも、その人工脳がちゃんと理想通りに働いてくれたから、私は目を覚ましたんだって、記憶もちゃんと残せてるんだって、そういうのはわかった」
「その、人工脳のことは、誰も知らなかったの?」
愁くんが、口をはさむタイミングを探るように、聞いてきた。
私は小さく、首を縦に振る。
「知ってたのは、お母さん以外じゃ琴美くらいだよ。日常生活に戻って、学校にもまた通えるようになって、自分でも脳が入れ替わってるなんて忘れちゃうくらい、普通で今までどおりだと思えてた。でもね、球技大会で倒れたのがきっかけで、今朝、クラスのみんなにバレちゃって……言われたの。頭の中が全部機械なんて、気持ち悪いって。今の私は、前の私の記憶とか考え方をコピーした脳が動かしてるだけの、偽物だって。そんな風に言われるとは思ってなくて……ショックで、自分がわからなくなった。ひょっとしたら、私は本当に偽物かもしれない。今までと何も変わらないって思ってたのは自分だけで、機械がそう思わせてるだけで、本当は違うのかもしれないって、そう思ったら何だか怖くて……」
次第に、自分が早口になっているのがわかった。自分でも珍しいなって思うぐらい、饒舌だ。自分の中に抱えている不安を言葉にしたら、止まらなかった。
いつのまにか、涙が頬を伝っていた。
私はきっと不安でしかたなくて、誰かに聞いてほしかったんだ。辛いけど、怖いけど、今少しだけほっとしている。この涙は、たぶんそういう涙だ。
これでも十分。愁くんが、真剣に聞いてくれているから。私はちゃんと、言葉にできたから。崩れ落ちそうだった心を、何とか繋ぎとめることができた。
でも、もうひとつだけ、あとひとつだけ、欲を言えば。
「……私、誰なんだろう」
その言葉には自信がなくて、消え入るような小さな声を必死に絞り出した。怖くて、ぎゅっとまぶたを閉じた。
私は正直に、願った。お願い、答えて。嘘でもいい、私は私だと誰かに――ううん、今は愁くんに、そう言ってほしい。
「……そっか、そうだったんだね」
少しだけ間を置いて、愁くんがそうつぶやくのが聞こえた。
私はおそるおそる、目を開けて愁くんの方を見る。
「え……?」
私は思わず、驚いて声を上げた。
愁くんが涙を流しながら、唇を噛みしめている。
「どうして……愁くんが泣いてるの?」
私はわけがわからなくて、尋ねる。愁くんが泣く理由なんて、ないのに。
愁くんは流れる涙を手で拭って、そのままゆっくりと両の手を私の方へ伸ばしてきた。そして包み込むようにそっと、私の身体を抱きしめてくれた。
身体いっぱいに感じる体温。すごく温かくて、優しい温度。泣いているせいか乱れた息づかい。私の手が愁くんの胸の辺りに触れて、心臓の鼓動を感じる。
「……ごめん」
私の耳元で、愁くんがそう言った。
「何で……」
愁くんが、謝るの? そう聞こうとしたけど、声が詰まって出てこない。
「雪穂は、雪穂だよ」
先ほどまでのつぶやくような声とは対照的に、その言葉ははっきりと力強く聞こえた。
「……それだけは言える。誰が疑っても、僕はわかってる。雪穂はきっと何も変わってない。頭の中がどうなってたって、雪穂は、雪穂だよ」
気休めでも、嘘でもない。根拠はないけど、私にはそんな風に聞こえた。ただ、信じていると、そう言っているように聞こえた。
私も、信じてよかったと思う。
気づくと、私の手は愁くんの制服の裾を強く、手繰り寄せるように握っていた。
あぁ、そっか。たぶん、これがそうなんだと、私はもうひとつ大事なことに気がついた。
これは私の初めての気持ち。
私は、愁くんに恋をしている。
しばらくの間忘れていた疑問が、その分を埋め合わせるかのように、頭の中いっぱいに駆け巡る。
本当は自分がずっと疑っていた。自分が一番、信じられずにいた。自分が感じていることが、考えていることが、全部人工的に作られた脳から生み出されていると知って、それはもう『私』じゃなくて、私によく似た存在になってしまったんじゃないかって。
本当の私は、事故に遭う前の私は本当の脳の損傷と共にとっくに消えてしまっているか、まだずっと眠りについたままなんじゃないかって。
だとしたら、私はいったい何者なんだろう。
偽物。私は、高山雪穂の偽物。
阿久津さんの言葉がえぐり込むように私の胸のあたりに突き刺さる。
でもそれは、私が無意識のうちに私自身に投げかけていた言葉なのかもしれない。
私はちゃんと、事故に遭う前の私かな? 何も変わったこと、ないかな?
誰かに確かめたかったけど、怖くて誰にも聞けなかったことだ。
もし何かが違っていたり、私に気を使っていることがわかったりしたら、私の疑念は止まらなくなる。私が私だと、信じられなくなる。
ここ最近のことが楽しくて、考えないようにしてたんだけどな。
ふと気がつくと、いつもの交差点にたどり着いていた。私の運命を変えた場所。今の私にとっての、始まりとなった場所。
どうして、私はこんなところで事故に遭ってしまったんだろう。
改めてこの場所に立って辺りを見回してみると、そう問い詰めたくなった。
ここは交通量は多いけれど、決して見通しが悪いわけじゃない。車が迫ってきていたら、気づかないはずはない。それに、もし事故に遭う前と今の私の考えが変わっていないのなら、軽率に信号無視なんてこともしないと思う。
でも――聞いた話では、私は急に車の前に飛び出したらしい。それが真実なら、非は私にあると言ってもいい。
だからこそ、自分を恨んだ。事故にさえ遭わなければ、こんな思いはしなかったはずなのに。高山雪穂は高山雪穂のまま、毎日をただ平凡に過ごしていたはずなのに。
人通りの多い駅前を避けるように、足の向くまま少し離れた公園のところまでやってきていた。人の姿を見るのが怖い。みんなはきっと本物で、それに比べたら私は偽物。そんな風に、思ってしまいそうで。
平日午前の公園は人影もほとんどなくてほっとした。膝からがくりと力が抜けたみたいにベンチに腰を下ろす。立っているのも辛い。何だかすごく、疲れ果ててしまった。
もう正直どうでもいいかな。そんな考えがふと頭の中をよぎる。
私が『私』であっても、そうでなくても、どうでも。
そうしたら、少し楽になった気がした。その代わり、うつむいた顔からぽたりと涙が地面に落ちた。一粒、二粒、三粒――それ以上は、視界が霞んでわからない。
「……私、誰なのかなぁ」
こぼれた涙を追うように、言葉がもれた。誰か、答えてほしい。
その時、ふと隣に誰かが座った気配がした。
「……え?」
「よかった、早めに見つけられて」
そこにいたのは、愁くんだった。息を切らした様子で、首筋に汗を流しながら、安堵したように笑っている。
「何で……?」
「雪穂たちのクラスが騒がしいなって思って。行ってみたらみんなの様子がおかしかったから琴美に聞いてみたんだ。そしたら、雪穂が飛び出していったって言うから」
「探しに、来てくれたの?」
「当たり前だよ。あまり詳しい状況は聞けなかったけど、琴美も珍しく動揺してたし」
「そっか……そうだよね。ごめんね、心配かけて」
あの場に耐えきれずつい飛び出してしまったけれど、きっと琴美にもずいぶんと心配をかけたに違いない。謝らないといけない。でも、まだ教室に、みんなの前に戻る勇気はでなかった。『私』を見るみんなの視線を想像すると怖い。今まで向けられていたものとは違う、異質なものを見るかのような視線だったらどうしよう。そう思うと、足がすくんだように立ち上がる気力が起きない。
「……何があったの?」
愁くんが、こちらを覗き込むようにして聞いてくる。
私はどう答えようか悩んで、肩を抱くように身を縮めた。
教室で起こったことをそのまま話せば、当然私の人工脳のことも話さないといけない。正直、愁くんにすら話すのは怖かった。どうして今まで黙っていたのと責められたら、君なんて人間じゃないと言われたら、拒絶されたら――悪い想像ばかりが浮かんで止まらない。
もうクラスのみんなには知られているのだから、遅かれ早かれ愁くんの耳にも入ることになるというのに、なぜか躊躇してしまう。
機械でも人間でも、はっきりと区別できるならまだましだったかもしれないのに、今の私はきっとどっちでもない、中途半端で、誰も見たことのない異物なのだと思う。
その時、肩をつかんでいた私の手の先がふいに温かさを感じた。
愁くんが私の手を包み込むように、そっと握ってくれている。
そして彼は私の目をまっすぐに見ながら、言った。
「言いたくなければ、言わなくてもいいよ」
私はほっとしたようで、でもその反面、複雑な気持ちになった。私を気遣ってくれたその言葉は嬉しいけれど、今それに甘えてしまったら、私は自分の抱えるこの秘密を、私自身の口から伝えることができなくなる。
すると、愁くんは私の迷いを察したかのように、続けた。
「……今までの僕だったら、遠慮してそう言ってたかもしれない」
「え?」
「でも、今の僕は話してほしいと思ってる。雪穂のことをもっと知りたいから、教えてほしい。雪穂の悩んでることや、抱えてること。僕はどうしても……雪穂の力になりたいんだ」
指先に触れた愁くんの手に、力がこもる。
どうして、そこまで?
正直、不思議だった。だって私たちはほんの少し前に知り合って、ただ勉強を教えてもらう関係で、ようやく最近お茶をしたり連絡を取り合うようになった程度だ。少しだけ壁が薄くなった友達。まだそれぐらいの距離だと、思っていたのに。
だけど真剣で、力強く向けられたその眼差しに、私は背中を押してもらった。いや、引き寄せてもらった。私は愁くんのことを信じたい。
「……人工脳」
私が決意して口を開くと、愁くんは私に触れていた手を一度離して、自分の膝の上に置いた。真剣に聞くよ、という無意識のサインなんだろう。
「私ね、事故で脳が傷ついちゃって、それで何ヶ月も目を覚まさなかったらしいの」
「植物状態……だったんだよね。それは聞いたことがある」
うん、と私はうなずく。
「ある日、病院のベッドの上で目を覚ました。その時自分に何が起こったのかわからなかったけど、目が覚めてしばらくたってから、教えてもらったの。私の脳は、そのままだとやっぱり目を覚ます見込みはほとんどなかったんだって。だから、開発中だった人工脳……本当の脳の代わりをする機械の脳に、入れ替えたんだって」
私はそう言って、自分の頭の側面をそっと触れる。柔らかい髪の質感。頭蓋骨の、しっかりと固い感触。その向こうに、いまだその姿を知らない、私の生命線がいる。
「人工脳って言われても、どういう仕組みになっているのか詳しくはわかんない。説明されても難しくて、うまく理解できなくて。でも、その人工脳がちゃんと理想通りに働いてくれたから、私は目を覚ましたんだって、記憶もちゃんと残せてるんだって、そういうのはわかった」
「その、人工脳のことは、誰も知らなかったの?」
愁くんが、口をはさむタイミングを探るように、聞いてきた。
私は小さく、首を縦に振る。
「知ってたのは、お母さん以外じゃ琴美くらいだよ。日常生活に戻って、学校にもまた通えるようになって、自分でも脳が入れ替わってるなんて忘れちゃうくらい、普通で今までどおりだと思えてた。でもね、球技大会で倒れたのがきっかけで、今朝、クラスのみんなにバレちゃって……言われたの。頭の中が全部機械なんて、気持ち悪いって。今の私は、前の私の記憶とか考え方をコピーした脳が動かしてるだけの、偽物だって。そんな風に言われるとは思ってなくて……ショックで、自分がわからなくなった。ひょっとしたら、私は本当に偽物かもしれない。今までと何も変わらないって思ってたのは自分だけで、機械がそう思わせてるだけで、本当は違うのかもしれないって、そう思ったら何だか怖くて……」
次第に、自分が早口になっているのがわかった。自分でも珍しいなって思うぐらい、饒舌だ。自分の中に抱えている不安を言葉にしたら、止まらなかった。
いつのまにか、涙が頬を伝っていた。
私はきっと不安でしかたなくて、誰かに聞いてほしかったんだ。辛いけど、怖いけど、今少しだけほっとしている。この涙は、たぶんそういう涙だ。
これでも十分。愁くんが、真剣に聞いてくれているから。私はちゃんと、言葉にできたから。崩れ落ちそうだった心を、何とか繋ぎとめることができた。
でも、もうひとつだけ、あとひとつだけ、欲を言えば。
「……私、誰なんだろう」
その言葉には自信がなくて、消え入るような小さな声を必死に絞り出した。怖くて、ぎゅっとまぶたを閉じた。
私は正直に、願った。お願い、答えて。嘘でもいい、私は私だと誰かに――ううん、今は愁くんに、そう言ってほしい。
「……そっか、そうだったんだね」
少しだけ間を置いて、愁くんがそうつぶやくのが聞こえた。
私はおそるおそる、目を開けて愁くんの方を見る。
「え……?」
私は思わず、驚いて声を上げた。
愁くんが涙を流しながら、唇を噛みしめている。
「どうして……愁くんが泣いてるの?」
私はわけがわからなくて、尋ねる。愁くんが泣く理由なんて、ないのに。
愁くんは流れる涙を手で拭って、そのままゆっくりと両の手を私の方へ伸ばしてきた。そして包み込むようにそっと、私の身体を抱きしめてくれた。
身体いっぱいに感じる体温。すごく温かくて、優しい温度。泣いているせいか乱れた息づかい。私の手が愁くんの胸の辺りに触れて、心臓の鼓動を感じる。
「……ごめん」
私の耳元で、愁くんがそう言った。
「何で……」
愁くんが、謝るの? そう聞こうとしたけど、声が詰まって出てこない。
「雪穂は、雪穂だよ」
先ほどまでのつぶやくような声とは対照的に、その言葉ははっきりと力強く聞こえた。
「……それだけは言える。誰が疑っても、僕はわかってる。雪穂はきっと何も変わってない。頭の中がどうなってたって、雪穂は、雪穂だよ」
気休めでも、嘘でもない。根拠はないけど、私にはそんな風に聞こえた。ただ、信じていると、そう言っているように聞こえた。
私も、信じてよかったと思う。
気づくと、私の手は愁くんの制服の裾を強く、手繰り寄せるように握っていた。
あぁ、そっか。たぶん、これがそうなんだと、私はもうひとつ大事なことに気がついた。
これは私の初めての気持ち。
私は、愁くんに恋をしている。