検査の結果、特に異常は見られなかったと言われて、私はほっと胸をなでおろした。すぐに琴美にも電話で伝えたけど、私以上に安堵した様子が伝わった。
念のため球技大会の翌日は学校を休んで、その翌日から登校することにした。
琴美と一緒にいつもどおりの時間に登校し、教室のドアを開ける。
「おはよー」
琴美が明るい声で誰にともなく、挨拶をする。私は恥ずかしいからそっと入室するけど、それもいつもどおり。でも。
ふと、違和感を覚えた。
何だろう、何だかちょっと怖いというか、背筋がぞくっとしたような気分。
教室を見回して、私はすぐにはっと気づいた。
みんなの視線が、私に向いているんだ。
いつもなら元気にあいさつをする琴美の方にみんなの注意は集まっていて、私はその陰に隠れるように入っていく。
でも、今日は違う。明らかに琴美じゃなくて、私の方にみんなの視線が向けられている。
この視線には覚えがあった。
私が事故から目覚めた後、初めて登校した時の視線に似ている。歓迎、とは言えない、珍しいものを見るような、腫れ物に触れるような、壁を一枚そこに置かれたような視線。琴美に送る視線の元ではみんな笑顔を少なからず浮かべているのに、この視線の元ではみんな笑っていない。笑顔に見えても、どこかよそよそしい。だから、怖い。
「え、みんな、どうしたの?」
琴美もこの違和感に気づいたらしい。戸惑った様子で、みんなを見回しながら尋ねる。でもそれにすぐに答えてくれる声はなくて、誰もが近くの人と顔を見合わせて牽制するような仕草をする。
すると、ひとりの男子が私の方に歩み寄ってきた。
「えっと……ごめん、球技大会の時、高山に当たったボール打ったの、俺なんだ」
言いながら、彼は頭を下げて謝罪した。
確かに私はあの球技大会で突然意識を失って倒れてしまったし、そのまま早退して病院に行ったから、みんなの前に顔を見せるのはそれ以来ということになる。みんな、私がどうなったのか心配してくれていたのかな。
いや、違う。私が感じるこの壁は、そんな温かいものには思えない。
「ねぇ、人工脳って何?」
ふいに、教室の奥からそんな声が聞こえてきて、私は愕然とした。
「えっ……」
どうしてその言葉が、琴美以外から出てくるんだろう。私は琴美以外には話していないし、琴美が他の人に話すとも思えない。
「やっぱ本当なんだ。雪穂の頭の中、全部機械になっちゃってるって」
「阿久津さん……」
人工脳の言葉を口にしたのは、阿久津という女の子だった。強気ではっきりと言葉を口にする彼女のことを、私は正直苦手だ。
「何で、そのこと」
私の反応で阿久津さんはもう確信している。こんな時、何を言われても動じないハートを持っていたらごまかすこともできたかもしれないのに、私にはそれができない。
「球技大会の時、保健室で琴美と雪穂が話してたの聞いてたの。私も具合悪くて保健室運ばれてたから、隣のベッドにいたんだよ。気づかなかった?」
言われて、私は琴美と顔を見合わせる。保健室に運ばれた人がいるという話は聞いていたのに、うろたえていたせいもあってか、隣で誰か聞いているかもしれないというところにまで気が回らなかった。
「ねぇ、教えてよ。人工脳って、何のこと?」
阿久津さんが詰めるように聞いてくる。すかさず、私との間に琴美が割り込んでくれた。
「それで? その時聞いたことをみんなに言いふらしたの?」
琴美が責めるような強い口調で聞き返した。
「言いふらしたなんてやめてよ。確かに何人かには言ったけど、そこからは私じゃないし」
「人数の問題じゃないでしょ。わざとじゃないにしたって、偶然聞いちゃったことを勝手に言っていいかどうかなんて、ちょっと考えたらわからない?」
二人がヒートアップしてきているのが見てわかった。琴美も普段人に突っかかることなんてほとんどないけど、人工脳に触れたせいでよけいにナーバスになっている。
でもこのまま放っておいたら、もっと喧嘩がひどくなってしまう気がして、私は琴美の腕を引いて止めた。
「ごめん。私もずっと言ってなかったから、悪かったよね。ちゃんと、話すから」
これ以上クラスの中を変な空気にしたくない。私は目を覚ましてからの経緯を正直に話すことにした。もちろん、私の理解できている範囲だから大した説明ではないけど。
ここまで誰にも言わずに黙っていたのは、自分自身も初め人工脳の存在を信じられなかったし、気の弱さでちゃんと説明できそうにないことを自覚していたからだ。でも今だったら、と私は自分の胸を叩いた。
みんなに話して、ちゃんとわかってもらおう。わかってもらいたい。
私が話し終わると、みんな戸惑ったような表情を浮かべ、しんとなった。次第に素直に驚いていたり、半信半疑の表情だったり、おもしろそうと思ったのか興味深そうな顔をしていたり、みんなの反応には差が出始める。
風船が膨らんでいくみたいに、少しずつ大きくなっていくざわめきが、少し怖かった。琴美ですら、みんなの様子を窺っていて何も言えず立ち尽くしている。私だって、目を覚ましてしばらくは自分の頭の中身とどう向き合えばいいかわからなかった。だからみんなもきっと、私のことをどう扱えばいいか迷っているんだ。
その膨らみきった風船を、一気に破裂させたのは、阿久津さんの一刺しの言葉だった。
「何かさ、気持ち悪いね」
その言葉は、ざわめきの中でよく通って聞こえた。私に聞こえるように、はっきりと告げたように思えた。直後、一瞬で室内はしんとした重い空気に包まれる。
「気持ち悪いって……どういうこと?」
私はその意味を知りたくて、阿久津さんに尋ねた。
「え、だって、わけわかんないじゃん。頭の中、全部機械なの? じゃあ雪穂が考えてることとか、しゃべってることとか、全部その機械が代わりにやってるんだ?」
阿久津さんは悪気のないような顔で、その真意は私にはわからなかったけど、ただその言葉に少なからずショックを受けたのは確かだ。
「そうじゃ、ないよ。その……私も教えてもらっただけだけど、人工脳はちゃんと私の記憶も、考え方も全部同じようなことができるように作られてるっていうし、確かに今頭の中にあるのは機械かもしれないけど、私も全然そんなこと、正直自分でも忘れちゃうくらい気にならないっていうか……」
問い詰められているような気がして、うまく言葉にできている自信がなかったけれど、私はできる限り伝えないといけなかった。私の存在が否定されていると、直感で思ったから。
でも、阿久津さんから返ってきた言葉は私をさらにどん底に突き落とすようなものだった。
「でも結局、今の雪穂は偽物ってことじゃないの」
「え?」
「だってさ、そうじゃない? 雪穂が今話した言葉も、どう身体を動かすかとか、どういう感情になったかとか、全部その機械にコピーしただけのものなんでしょ? じゃあ、ここにある雪穂って何なの? 外見は一緒でも、中身は全然別物ってことだよね」
「……何? 何を言ってるの?」
彼女の言っている意味がわからなくて、めまいを起こしそうだった。でもただひとつ、感じたことがある。
「さっきから言ってるじゃん。脳の代わりに機械が入ってるとか、正直気持ち悪いよ」
やっぱり私は、否定されているんだ。私という存在を。私が私であることを。
阿久津さんの中での私は、もうそれまでの『私』じゃなくなっているのかもしれない。
「そこまでにして。ねぇ、何のつもり? 雪穂のこと苦しめて楽しいの?」
琴美が阿久津さんの身体を押し出すようにして前に出た。私から少しでも引き離そうとしてくれたみたいだ。
でも、阿久津さんはおもしろがるように、琴美の身体をさらに押しのけて、私の顔を覗きこんでくる。
「苦しいの? ほんとにそれってさ、雪穂が苦しんでるの? 実はそう思い込んでるだけで、その機械の脳が勝手にそういう風に思わせてるだけじゃない?」
「……いいかげんにしなよ!」
琴美が珍しく、怒りで顔を真っ赤にしている。阿久津さんの腕をつかみ、今にも押し倒してしまいそうな勢いで詰め寄る。
ダメだよ、やめてよ、琴美。喧嘩なんかしないでよ。
ところが騒ぎは収まるどころか、より大きくなって教室全体に広がった。私も余裕がなくて言葉はよく聞き取れなかったけれど、琴美に同調する意見と、阿久津さんに同調する意見の人たちが声を上げ始め、そこら中で言い争いのような状態になってしまったからだ。
「私は……偽物?」
思わずつぶやく。顔をうつむかせて、隠すように両手で覆って、私は逃げるように教室から飛び出していた。
これ以上この場所にはいられない。私が本物なのか、偽物なのか、自分でもわからない。でもこの場に留まり続けたら、どちらかに決められてしまうんじゃないかと怖かった。
もし、みんなにお前は偽物だと言われたら、私はどうしたらいいんだろう。
念のため球技大会の翌日は学校を休んで、その翌日から登校することにした。
琴美と一緒にいつもどおりの時間に登校し、教室のドアを開ける。
「おはよー」
琴美が明るい声で誰にともなく、挨拶をする。私は恥ずかしいからそっと入室するけど、それもいつもどおり。でも。
ふと、違和感を覚えた。
何だろう、何だかちょっと怖いというか、背筋がぞくっとしたような気分。
教室を見回して、私はすぐにはっと気づいた。
みんなの視線が、私に向いているんだ。
いつもなら元気にあいさつをする琴美の方にみんなの注意は集まっていて、私はその陰に隠れるように入っていく。
でも、今日は違う。明らかに琴美じゃなくて、私の方にみんなの視線が向けられている。
この視線には覚えがあった。
私が事故から目覚めた後、初めて登校した時の視線に似ている。歓迎、とは言えない、珍しいものを見るような、腫れ物に触れるような、壁を一枚そこに置かれたような視線。琴美に送る視線の元ではみんな笑顔を少なからず浮かべているのに、この視線の元ではみんな笑っていない。笑顔に見えても、どこかよそよそしい。だから、怖い。
「え、みんな、どうしたの?」
琴美もこの違和感に気づいたらしい。戸惑った様子で、みんなを見回しながら尋ねる。でもそれにすぐに答えてくれる声はなくて、誰もが近くの人と顔を見合わせて牽制するような仕草をする。
すると、ひとりの男子が私の方に歩み寄ってきた。
「えっと……ごめん、球技大会の時、高山に当たったボール打ったの、俺なんだ」
言いながら、彼は頭を下げて謝罪した。
確かに私はあの球技大会で突然意識を失って倒れてしまったし、そのまま早退して病院に行ったから、みんなの前に顔を見せるのはそれ以来ということになる。みんな、私がどうなったのか心配してくれていたのかな。
いや、違う。私が感じるこの壁は、そんな温かいものには思えない。
「ねぇ、人工脳って何?」
ふいに、教室の奥からそんな声が聞こえてきて、私は愕然とした。
「えっ……」
どうしてその言葉が、琴美以外から出てくるんだろう。私は琴美以外には話していないし、琴美が他の人に話すとも思えない。
「やっぱ本当なんだ。雪穂の頭の中、全部機械になっちゃってるって」
「阿久津さん……」
人工脳の言葉を口にしたのは、阿久津という女の子だった。強気ではっきりと言葉を口にする彼女のことを、私は正直苦手だ。
「何で、そのこと」
私の反応で阿久津さんはもう確信している。こんな時、何を言われても動じないハートを持っていたらごまかすこともできたかもしれないのに、私にはそれができない。
「球技大会の時、保健室で琴美と雪穂が話してたの聞いてたの。私も具合悪くて保健室運ばれてたから、隣のベッドにいたんだよ。気づかなかった?」
言われて、私は琴美と顔を見合わせる。保健室に運ばれた人がいるという話は聞いていたのに、うろたえていたせいもあってか、隣で誰か聞いているかもしれないというところにまで気が回らなかった。
「ねぇ、教えてよ。人工脳って、何のこと?」
阿久津さんが詰めるように聞いてくる。すかさず、私との間に琴美が割り込んでくれた。
「それで? その時聞いたことをみんなに言いふらしたの?」
琴美が責めるような強い口調で聞き返した。
「言いふらしたなんてやめてよ。確かに何人かには言ったけど、そこからは私じゃないし」
「人数の問題じゃないでしょ。わざとじゃないにしたって、偶然聞いちゃったことを勝手に言っていいかどうかなんて、ちょっと考えたらわからない?」
二人がヒートアップしてきているのが見てわかった。琴美も普段人に突っかかることなんてほとんどないけど、人工脳に触れたせいでよけいにナーバスになっている。
でもこのまま放っておいたら、もっと喧嘩がひどくなってしまう気がして、私は琴美の腕を引いて止めた。
「ごめん。私もずっと言ってなかったから、悪かったよね。ちゃんと、話すから」
これ以上クラスの中を変な空気にしたくない。私は目を覚ましてからの経緯を正直に話すことにした。もちろん、私の理解できている範囲だから大した説明ではないけど。
ここまで誰にも言わずに黙っていたのは、自分自身も初め人工脳の存在を信じられなかったし、気の弱さでちゃんと説明できそうにないことを自覚していたからだ。でも今だったら、と私は自分の胸を叩いた。
みんなに話して、ちゃんとわかってもらおう。わかってもらいたい。
私が話し終わると、みんな戸惑ったような表情を浮かべ、しんとなった。次第に素直に驚いていたり、半信半疑の表情だったり、おもしろそうと思ったのか興味深そうな顔をしていたり、みんなの反応には差が出始める。
風船が膨らんでいくみたいに、少しずつ大きくなっていくざわめきが、少し怖かった。琴美ですら、みんなの様子を窺っていて何も言えず立ち尽くしている。私だって、目を覚ましてしばらくは自分の頭の中身とどう向き合えばいいかわからなかった。だからみんなもきっと、私のことをどう扱えばいいか迷っているんだ。
その膨らみきった風船を、一気に破裂させたのは、阿久津さんの一刺しの言葉だった。
「何かさ、気持ち悪いね」
その言葉は、ざわめきの中でよく通って聞こえた。私に聞こえるように、はっきりと告げたように思えた。直後、一瞬で室内はしんとした重い空気に包まれる。
「気持ち悪いって……どういうこと?」
私はその意味を知りたくて、阿久津さんに尋ねた。
「え、だって、わけわかんないじゃん。頭の中、全部機械なの? じゃあ雪穂が考えてることとか、しゃべってることとか、全部その機械が代わりにやってるんだ?」
阿久津さんは悪気のないような顔で、その真意は私にはわからなかったけど、ただその言葉に少なからずショックを受けたのは確かだ。
「そうじゃ、ないよ。その……私も教えてもらっただけだけど、人工脳はちゃんと私の記憶も、考え方も全部同じようなことができるように作られてるっていうし、確かに今頭の中にあるのは機械かもしれないけど、私も全然そんなこと、正直自分でも忘れちゃうくらい気にならないっていうか……」
問い詰められているような気がして、うまく言葉にできている自信がなかったけれど、私はできる限り伝えないといけなかった。私の存在が否定されていると、直感で思ったから。
でも、阿久津さんから返ってきた言葉は私をさらにどん底に突き落とすようなものだった。
「でも結局、今の雪穂は偽物ってことじゃないの」
「え?」
「だってさ、そうじゃない? 雪穂が今話した言葉も、どう身体を動かすかとか、どういう感情になったかとか、全部その機械にコピーしただけのものなんでしょ? じゃあ、ここにある雪穂って何なの? 外見は一緒でも、中身は全然別物ってことだよね」
「……何? 何を言ってるの?」
彼女の言っている意味がわからなくて、めまいを起こしそうだった。でもただひとつ、感じたことがある。
「さっきから言ってるじゃん。脳の代わりに機械が入ってるとか、正直気持ち悪いよ」
やっぱり私は、否定されているんだ。私という存在を。私が私であることを。
阿久津さんの中での私は、もうそれまでの『私』じゃなくなっているのかもしれない。
「そこまでにして。ねぇ、何のつもり? 雪穂のこと苦しめて楽しいの?」
琴美が阿久津さんの身体を押し出すようにして前に出た。私から少しでも引き離そうとしてくれたみたいだ。
でも、阿久津さんはおもしろがるように、琴美の身体をさらに押しのけて、私の顔を覗きこんでくる。
「苦しいの? ほんとにそれってさ、雪穂が苦しんでるの? 実はそう思い込んでるだけで、その機械の脳が勝手にそういう風に思わせてるだけじゃない?」
「……いいかげんにしなよ!」
琴美が珍しく、怒りで顔を真っ赤にしている。阿久津さんの腕をつかみ、今にも押し倒してしまいそうな勢いで詰め寄る。
ダメだよ、やめてよ、琴美。喧嘩なんかしないでよ。
ところが騒ぎは収まるどころか、より大きくなって教室全体に広がった。私も余裕がなくて言葉はよく聞き取れなかったけれど、琴美に同調する意見と、阿久津さんに同調する意見の人たちが声を上げ始め、そこら中で言い争いのような状態になってしまったからだ。
「私は……偽物?」
思わずつぶやく。顔をうつむかせて、隠すように両手で覆って、私は逃げるように教室から飛び出していた。
これ以上この場所にはいられない。私が本物なのか、偽物なのか、自分でもわからない。でもこの場に留まり続けたら、どちらかに決められてしまうんじゃないかと怖かった。
もし、みんなにお前は偽物だと言われたら、私はどうしたらいいんだろう。