古い城はあちこち傷んでいて、すきま風は吹くし、カビくさい。

 華やかだった伯爵家も、母が亡くなった頃から、しだいに行き届かないところが目立つようになっていた。

 父が病に伏せってからは領地の経営もあまりうまくいっていないという話はエレナの耳にも入っていた。

 有能な執事が去ってしまい、かつてはたくさんいた使用人も、一人減り二人減り、今では半分以下になってしまった。

 だが、箱入り娘の自分にできることなど何もない。

 エレナにもそのくらいのことは分かっていた。

 今宵の婚約パーティーを無事に終えれば、自分は王室の一員として迎え入れられる。

 王子との婚約は自分が生まれたときからの契約事項だと聞かされてきた。

 一度も相手に会ったことはないが、そんなことは問題ではない。

 貴族にとっては名誉なことであり、この世で最高の地位を手に入れることになるのだ。

 美男子であってほしいが、カエルでなければそれでかまわない。

「カエル?」と、ミリアが首をかしげて立ち止まる。

 つい、思っていたことを口に出していたらしい。

「フラグですか、お嬢様」

 旗?

 今度はエレナが首をかしげる番だった。

「物語などで使われる言葉でございます。伏線と言いますか、この先に起こることを自分から予言してしまうようなことです。たいてい悪い結果を導くときに使われます」

 ミリアが仕事の合間に小説などというものを読んでいることをエレナは知っていた。

 そのせいか、この侍女はたまに意味不明なことを言い出すのだ。

 刺激的な快楽を求める小説は庶民の娯楽であり、上流階級の者はそのような下劣な物に触れてはならないとされている。

 貴族の令嬢が知らないのは当然だった。

 ただ、エレナにしても、ラテン語の勉強のふりをしながらこっそり小説を読んで、刺激的な恋物語に心ときめかせたことがあるのは内緒だ。

 悟られぬようにエレナはあえて違う例をあげてみた。

「それはつまり、真夜中の鐘の音を聞くとおねしょをしてしまうとか、そういう戒めのような物ですか」

「はい、さようでございます。さすがは十二の時までおねしょをなさっていたお嬢様。例えが的確でございます」

「あ、あのときは、夢の中でお母様がトイレにつれていってくださったのです」

「さようでしたか。お嬢様はたいへん素直でいらっしゃいますので、お疑いにならなかったのございましょう」

 すました顔で皮肉を言うミリアをにらみつけても、素知らぬ顔だ。

 隠そうとしてかえっていらぬ恥をかいてしまった。

 いや、知っていてあえて言っているのだ。

 まったく、この侍女ときたら。

 まあいいわ。

 今大事なのは今夜のパーティーよ。

 嫁いでしまえば、こんなさびしい田舎ともお別れだもの。

 それは家のためでもあるし、自分のためでもある。

 わたくしこそが、この世の主役なのですから。

 エレナは胸を張って前を向き、かたわらに控えた侍女に告げた。

「さ、ミリア、参りましょうか」

「はい、お嬢様」

 カツカツと靴音を響かせながら、エレナは玄関へ向かって歩き始めた。