翌日、8月3日金曜日。
俺は体育大会の練習後に5組の教室に向かった。昨日山下から岡田と板倉の関係を聞いてからすぐに。ここらで一番大きな花火大会が行われるのが、明後日8月5日の日曜日。善は急がなければならない。
5組の教室では、体育大会の練習終わりでさっさと帰宅しようとする人、受験勉強で分からないところを先生に質問しに行くなどと友達と話している人でガヤガヤとしていた。
誰も、入り口から入ってくる他のクラスの男になんか目もくれない。
彼女は、窓際の一番前の席に座っていた。いつかと同じように、風になびく髪の毛がさらさらと揺れる。
「京子、今日はどうする? 勉強」
「行くよ。市立図書館。美波も行くよね」
「うん、もちろん!」
1年の時に同じクラスだった井口美波が田京子に明るく返答する。二人は、1年生の時それほど仲が良かっただろうか。いや、彼女だけでない。他の女子たちも、京子と普通に会話している。
去年のクラスでは、京子はクラスで浮いていていつも一人でいるような女の子だった。それが、一年経っただけでこうなるのか。けれど確かに、彼女を纏うオーラが、周りを明るく照らしているような気がした。
どれもこれも、板倉と付き合い始めたのが原因だというのだろうか。
その板倉は、今どこに。
「あ」
肩を、ドンとぶつけられた。俺の横をすり抜けて、一人の男子生徒が教室の入り口から出て行った。
「板倉」
透明な、どこか寂しげな声がして、俺はその声の主を見た。
岡田京子。
彼女が、捨てられた子猫のように瞳をうるませて、俺の背後にある教室の扉の方を見つめていた。
その目が、あまりにも痛々しくて、俺はとっさに目を逸らしてしまう。
「宮沢?」
5組の教室で、ふと同じ野球部だった平野智に声をかけられた。
「おう」
「どうした? 誰に用?」
「それは」
こういう時、上手く嘘や方便を言えたら良かったのだが、俺の目は素直に岡田京子の方へと走っていた。
「え、ああ、そういえばお前……」
やめろ、その先を言うな。
俺の祈りも虚しく、平野は「岡田さんのこと、狙ってるんだっけ」とデリカシーの欠片のない声で言った。
「え?」
先に声を上げたのは、先ほど京子と話をしていた井口美波だった。彼女は、「えーっと」と顎を触り考える仕草をしながら京子の方を見た。
京子は、大きな目をさらに丸く開いて俺を見た。彼女のその瞳が、「なぜ」と理由を問いかける。
なぜ。
こんなことになったのか。
なぜ。
俺は、彼女に自分の口から想いを伝えられていないのか。
これまで、いろんなやつにでかい口を叩いて、自分に従わせてきた。欲しいと思うものは手に入れてきた。
それなのに、なぜ。
本気で手に入れたいと思った人を、手に入れる努力できないのは。
「……っ」
情けなかった。今の自分を誰にも見られたくない一心で、俺は俺を見つめる彼女を背に、5組の教室から退散した。
もし、彼女が俺のことを少しでも気にしてくれたなら、追いかけてくれるかもしれない——などと、甘い期待を抱いたのも事実。だが、その予想は外れ、彼女はおろか誰一人として俺のことなど気にかけてくれないのだと分かった。
全てが幻想。
俺が、大勢の輪の中心にいるなどという。たとえば物語であれば、悪ガキの主人公。最初は憎たらしい小僧だが、いざという時にはヒーローになる。
そうだ。憧れていたのだ。俺はずっと、子供の頃から。
ヒーローに、なりたかった。
俺は体育大会の練習後に5組の教室に向かった。昨日山下から岡田と板倉の関係を聞いてからすぐに。ここらで一番大きな花火大会が行われるのが、明後日8月5日の日曜日。善は急がなければならない。
5組の教室では、体育大会の練習終わりでさっさと帰宅しようとする人、受験勉強で分からないところを先生に質問しに行くなどと友達と話している人でガヤガヤとしていた。
誰も、入り口から入ってくる他のクラスの男になんか目もくれない。
彼女は、窓際の一番前の席に座っていた。いつかと同じように、風になびく髪の毛がさらさらと揺れる。
「京子、今日はどうする? 勉強」
「行くよ。市立図書館。美波も行くよね」
「うん、もちろん!」
1年の時に同じクラスだった井口美波が田京子に明るく返答する。二人は、1年生の時それほど仲が良かっただろうか。いや、彼女だけでない。他の女子たちも、京子と普通に会話している。
去年のクラスでは、京子はクラスで浮いていていつも一人でいるような女の子だった。それが、一年経っただけでこうなるのか。けれど確かに、彼女を纏うオーラが、周りを明るく照らしているような気がした。
どれもこれも、板倉と付き合い始めたのが原因だというのだろうか。
その板倉は、今どこに。
「あ」
肩を、ドンとぶつけられた。俺の横をすり抜けて、一人の男子生徒が教室の入り口から出て行った。
「板倉」
透明な、どこか寂しげな声がして、俺はその声の主を見た。
岡田京子。
彼女が、捨てられた子猫のように瞳をうるませて、俺の背後にある教室の扉の方を見つめていた。
その目が、あまりにも痛々しくて、俺はとっさに目を逸らしてしまう。
「宮沢?」
5組の教室で、ふと同じ野球部だった平野智に声をかけられた。
「おう」
「どうした? 誰に用?」
「それは」
こういう時、上手く嘘や方便を言えたら良かったのだが、俺の目は素直に岡田京子の方へと走っていた。
「え、ああ、そういえばお前……」
やめろ、その先を言うな。
俺の祈りも虚しく、平野は「岡田さんのこと、狙ってるんだっけ」とデリカシーの欠片のない声で言った。
「え?」
先に声を上げたのは、先ほど京子と話をしていた井口美波だった。彼女は、「えーっと」と顎を触り考える仕草をしながら京子の方を見た。
京子は、大きな目をさらに丸く開いて俺を見た。彼女のその瞳が、「なぜ」と理由を問いかける。
なぜ。
こんなことになったのか。
なぜ。
俺は、彼女に自分の口から想いを伝えられていないのか。
これまで、いろんなやつにでかい口を叩いて、自分に従わせてきた。欲しいと思うものは手に入れてきた。
それなのに、なぜ。
本気で手に入れたいと思った人を、手に入れる努力できないのは。
「……っ」
情けなかった。今の自分を誰にも見られたくない一心で、俺は俺を見つめる彼女を背に、5組の教室から退散した。
もし、彼女が俺のことを少しでも気にしてくれたなら、追いかけてくれるかもしれない——などと、甘い期待を抱いたのも事実。だが、その予想は外れ、彼女はおろか誰一人として俺のことなど気にかけてくれないのだと分かった。
全てが幻想。
俺が、大勢の輪の中心にいるなどという。たとえば物語であれば、悪ガキの主人公。最初は憎たらしい小僧だが、いざという時にはヒーローになる。
そうだ。憧れていたのだ。俺はずっと、子供の頃から。
ヒーローに、なりたかった。