***
「宮沢って、なんか変わったよな」
変わった。
この一年、友人の口から放たれる自分の評価はどいつもこいつも同じだった。
高校三年の夏。高校生活最後のセイシュン。受験勉強に目覚める奴もいれば、最後の高校の夏に青春を謳歌しようとする人もいた。大会で進んでいる部活に所属する人はまだ、暑い夏を乗り切ろうと必死になっている。
俺は、そのどれでもない。
野球部の大会は地区大会で負けた。受験なんて面倒だし今の実力で行ける大学へ行けるならどこでもいいと思っている。俺は、できるだけ最短距離で人生を進めたい。
それは、彼女に対しても同じだった、はずだ。
「まだ諦めてねーの?」
3年2組。なんの腐れ縁なのか、山下とは今年も同じクラスだった。しかし、彼女——岡田京子は5組で、彼女と付き合っている板倉も5組。俺が、付け入る隙なんてなかった。
「諦めてないっつーか、進めてないっつーか」
「それを諦めきれないって言うんだよ」
「まじで」
「うん」
最近の俺——もとい、一年前から俺は全然前へ進めていない。それどころか、以前のようにクラスの真ん中で声を上げて中心にいようとする気持ちが消え失せていた。
「宮沢、今日の帰りカラオケ行こうぜ」
「体育大会のあと、クラスの打ち上げどうする?」
「お前、早く進路調査出せよ」
クラスメイトや担任から、とめどなく俺の人生を急かす言葉を頂戴する日々。そのどれに対しても考えるのが億劫で、「ああ」と生返事をするだけだ。
それぐらい、衝撃だったのだ。
俺の人生において、クラスで最も可愛くないと言われた女子を好きになったこと。
その彼女が、よりにもよって見下していた男にとられてしまったこと。
彼女にまつわる全ての出来事が、あの日から俺の心を砕いていた。
「今度、花火大会あるじゃん。そこまで好きなら、誘えばいいんじゃね」
8月2日木曜日。9月に体育大会が行われるため、この時期は午前中だけその練習があった。世間もうちの学校もすっかり夏休みだというのに。それだけ、高校生の体育大会は思い出に残すべきものだと期待されているのだろう。
今日も午前中に男子組体操の練習が行われた。その帰りに、山下に誘われて駅近くの○クドナルドにやってきたのだ。
山下はご飯を食べた後少し勉強したいから、と言っているが、俺にはそんな彼の姿が自分から遠ざかるように見えた。
部活を引退し、こいつだってちゃんと受験に向けて前を向いている。
それなのに、俺だけが夢や目標もなく惰性で日々を生きている。せめて何か力を入れられることがあればいいのに。なんて、母親に言おうものなら、「さっさと勉強しろ」と怒られるに違いない。
「花火大会ねえ。お前、恋人がいる女を誘う勇気ある?」
○クドナルドの店内は、俺たちみたいな高校生、OLぽい女性客、サラリーマンでいっぱいだった。誰かが誰かと色恋話をしていたところで、周囲の雑音にかき消される。だから俺たちも平気で誰にも聞かれたくない話ができた。
「まあ、ねえけどさ。宮沢ならあるのかと思うじゃん」
「なんだそのタチの悪い偏見は」
山下はポテトをくわえながらにやりと笑ってそう言った。確かに、以前の俺ならそういうこともできた。自分が手に入れたいと思うものに、他人の顔色など気にせずにつっこむこと。
そういう時は大抵、俺が思い描いた通りの結末になる。クラスの中心にいる権利、男子生徒全員を巻き込む権利、少しの悪戯も許してもらえる権利。
でも、今は。
怖いのだ。
失敗した時に失うものを考えると、手も足も出せない。
俺は、岡田京子を板倉に取られてもなお、彼女から振られることを恐れている。なんたる不覚。弱虫の陰険野郎だ。
「俺さ、聞いたんだけど」
山下はまだ懲りないのか、俺になんとしてでも立ち直ってほしいと思っているのか、口に含んでいたものがなくなると、ドリンクのコーラをゴクンと飲み、喉を鳴らした。
「なんだ」
「岡田京子と板倉奏太、最近やばいらしいぞ」
やばい。とはつまりどういうことなのか。俺にとって良いことなのか悪いことなのか、聞かなくてもなんとなく分かった。
「それはつまるところ、俺にチャンスがあるってこと?」
「ああ。これは5組の女子情報なんだが。なんでも、板倉の方が最近岡田に興味をなくしているとかで、ろくにデートも行けてない。岡田の気持ちが傾くのも時間の問題だって」
なぜ5組の女子が他人のプライベートな情報を山下なんかに話したのかは分からない。が、もしそれが本当なら、俺が彼女を奪うなら今じゃないかと直感した。
「なるほどな」
この場では、山下に対してそれくらいしか返せなかった。だが、俺の心の天気は大荒れ。
もしも彼の情報が本当なのだとしたら、1年間、どん底にいた自分を救い出せるのは俺しかいないのではないか。
誰かに自分の心の中を聞かれでもしたら中二病の烙印を押されること間違いなしだが、幸い俺の目の前には山下しかいない。チャンスだ。
「まあ、なるようになるだろ」
他人の恋の行方を見物するだけの彼はどことなく楽しそうだ。聞くところによると、彼は彼で同じ3組の高坂美久を狙っているらしい。まだやつと直接その話はしていないが、彼女と接する時の彼の態度で丸わかりだ。今度問い詰めてやろう。
「さんきゅな。ちょっと、頑張れそうだ」
俺は彼へのお礼として自分が頼んだチキンナゲットを一つ、彼のトレイに載せた。男子高校生にとって、ナゲット一個は大きい。それはすぐに彼の腹に収まっていた。
「宮沢って、なんか変わったよな」
変わった。
この一年、友人の口から放たれる自分の評価はどいつもこいつも同じだった。
高校三年の夏。高校生活最後のセイシュン。受験勉強に目覚める奴もいれば、最後の高校の夏に青春を謳歌しようとする人もいた。大会で進んでいる部活に所属する人はまだ、暑い夏を乗り切ろうと必死になっている。
俺は、そのどれでもない。
野球部の大会は地区大会で負けた。受験なんて面倒だし今の実力で行ける大学へ行けるならどこでもいいと思っている。俺は、できるだけ最短距離で人生を進めたい。
それは、彼女に対しても同じだった、はずだ。
「まだ諦めてねーの?」
3年2組。なんの腐れ縁なのか、山下とは今年も同じクラスだった。しかし、彼女——岡田京子は5組で、彼女と付き合っている板倉も5組。俺が、付け入る隙なんてなかった。
「諦めてないっつーか、進めてないっつーか」
「それを諦めきれないって言うんだよ」
「まじで」
「うん」
最近の俺——もとい、一年前から俺は全然前へ進めていない。それどころか、以前のようにクラスの真ん中で声を上げて中心にいようとする気持ちが消え失せていた。
「宮沢、今日の帰りカラオケ行こうぜ」
「体育大会のあと、クラスの打ち上げどうする?」
「お前、早く進路調査出せよ」
クラスメイトや担任から、とめどなく俺の人生を急かす言葉を頂戴する日々。そのどれに対しても考えるのが億劫で、「ああ」と生返事をするだけだ。
それぐらい、衝撃だったのだ。
俺の人生において、クラスで最も可愛くないと言われた女子を好きになったこと。
その彼女が、よりにもよって見下していた男にとられてしまったこと。
彼女にまつわる全ての出来事が、あの日から俺の心を砕いていた。
「今度、花火大会あるじゃん。そこまで好きなら、誘えばいいんじゃね」
8月2日木曜日。9月に体育大会が行われるため、この時期は午前中だけその練習があった。世間もうちの学校もすっかり夏休みだというのに。それだけ、高校生の体育大会は思い出に残すべきものだと期待されているのだろう。
今日も午前中に男子組体操の練習が行われた。その帰りに、山下に誘われて駅近くの○クドナルドにやってきたのだ。
山下はご飯を食べた後少し勉強したいから、と言っているが、俺にはそんな彼の姿が自分から遠ざかるように見えた。
部活を引退し、こいつだってちゃんと受験に向けて前を向いている。
それなのに、俺だけが夢や目標もなく惰性で日々を生きている。せめて何か力を入れられることがあればいいのに。なんて、母親に言おうものなら、「さっさと勉強しろ」と怒られるに違いない。
「花火大会ねえ。お前、恋人がいる女を誘う勇気ある?」
○クドナルドの店内は、俺たちみたいな高校生、OLぽい女性客、サラリーマンでいっぱいだった。誰かが誰かと色恋話をしていたところで、周囲の雑音にかき消される。だから俺たちも平気で誰にも聞かれたくない話ができた。
「まあ、ねえけどさ。宮沢ならあるのかと思うじゃん」
「なんだそのタチの悪い偏見は」
山下はポテトをくわえながらにやりと笑ってそう言った。確かに、以前の俺ならそういうこともできた。自分が手に入れたいと思うものに、他人の顔色など気にせずにつっこむこと。
そういう時は大抵、俺が思い描いた通りの結末になる。クラスの中心にいる権利、男子生徒全員を巻き込む権利、少しの悪戯も許してもらえる権利。
でも、今は。
怖いのだ。
失敗した時に失うものを考えると、手も足も出せない。
俺は、岡田京子を板倉に取られてもなお、彼女から振られることを恐れている。なんたる不覚。弱虫の陰険野郎だ。
「俺さ、聞いたんだけど」
山下はまだ懲りないのか、俺になんとしてでも立ち直ってほしいと思っているのか、口に含んでいたものがなくなると、ドリンクのコーラをゴクンと飲み、喉を鳴らした。
「なんだ」
「岡田京子と板倉奏太、最近やばいらしいぞ」
やばい。とはつまりどういうことなのか。俺にとって良いことなのか悪いことなのか、聞かなくてもなんとなく分かった。
「それはつまるところ、俺にチャンスがあるってこと?」
「ああ。これは5組の女子情報なんだが。なんでも、板倉の方が最近岡田に興味をなくしているとかで、ろくにデートも行けてない。岡田の気持ちが傾くのも時間の問題だって」
なぜ5組の女子が他人のプライベートな情報を山下なんかに話したのかは分からない。が、もしそれが本当なら、俺が彼女を奪うなら今じゃないかと直感した。
「なるほどな」
この場では、山下に対してそれくらいしか返せなかった。だが、俺の心の天気は大荒れ。
もしも彼の情報が本当なのだとしたら、1年間、どん底にいた自分を救い出せるのは俺しかいないのではないか。
誰かに自分の心の中を聞かれでもしたら中二病の烙印を押されること間違いなしだが、幸い俺の目の前には山下しかいない。チャンスだ。
「まあ、なるようになるだろ」
他人の恋の行方を見物するだけの彼はどことなく楽しそうだ。聞くところによると、彼は彼で同じ3組の高坂美久を狙っているらしい。まだやつと直接その話はしていないが、彼女と接する時の彼の態度で丸わかりだ。今度問い詰めてやろう。
「さんきゅな。ちょっと、頑張れそうだ」
俺は彼へのお礼として自分が頼んだチキンナゲットを一つ、彼のトレイに載せた。男子高校生にとって、ナゲット一個は大きい。それはすぐに彼の腹に収まっていた。