「……」

おそらく彼女は、俺の気持ちを知っていた。周りのやつらがあれだけ囃子立てれば仕方のないことだ。良い意味でも悪い意味でも俺は目立ちすぎた。人から反感を買うことだってザラにあったわけだ。

それなのに、彼女は握りしめていた右手を今度は顔の方に持ってきて、頬を拭った。
気がつかなかった。彼女の頬に流れる一筋の涙。こぼれ落ちる、宝石。

「え、あ、なんか、ごめん! 大丈夫か?」

「……大丈夫。こっちこそ、ごめんなさい」

一体どうしたんだ。
彼女はこんなふうに、涙を流す人だったのか。
俺の発言にむかつくところがあったのか、嫌な気持ちになったのか。どちらにせよ、彼女との今後に光はないらしい。
胸が、疼く。こんなことは初めてだった。じわりと背中や掌に汗がにじむ。もう、やめちまいてえ。

「その、返事が聞きたいわけじゃないんだ。岡田にとっては迷惑だろうし、これ以上岡田や板倉には関わらないようにするからさ。だから、その、幸せになってほしい」

そうだ。俺の願いは、彼女が幸せになることだ。たとえ今どれだけ俺の心に穴が開いたとしてもそれはいつか癒える。悔いのない終わり方をすれば、絶対に。

「……違うよ」

でも、彼女は首を横に振った。
何が、違うというのだろう。幸せに、なりたくないのか? もしかして自分にはそんな資格ないとか思ってるんだろうか。だとすれば、大間違いだ。

「あのなあ、俺の話聞いてただろ。もう邪魔しないって。去年の件は、すまなかった。本当に心から悪いことをしたと思ってる。今日のことはそのお詫びだ。だから板倉とこれからもお幸せに、な」

帰ろう。これで彼女への気持ちが少しずつ昇華されていくはずだ。
俺は踵を返し、ざっと石の上を一歩踏み出した。後ろは、振り返らない。駅まで一直線だ。

「だから、違うの!」

真っ直ぐに、突き刺さる声。
彼女が声を張り上げるのを初めて聞いた。それは、自分の気持ちを聞いて欲しくて仕方がないというような切実さを孕んで。
俺は見事に後ろを振り返ってしまった。
そうして、触れた。彼女の右手が、俺の左腕に。馬鹿な、と目を疑った。だって俺は、彼女に触れて良い資格なんてない。

「私っ……たから」

「え?」

「私、板倉とは別れたから!」

「は……」

何を言っているのか分からなかった。
板倉と別れた?
なぜ、そんな。だってさきっまで、お前たちは一緒にいたんだろう。あの美しい花火を共に眺めて気持ちも昂っていたんじゃねえのか。

けれど、彼女は必死に叫んでいた。両目から大粒の涙を流していた。
その姿を見れば、馬鹿な俺でも彼女の言っていることが本当に本当なんだと分かった。

「さっきね、板倉と一緒に花火見てた。綺麗だった。最近ずっと、板倉は私と話してくれなくて、寂しくて。遊びに行くことも笑うことも少なくなって。でも昨日、誘ってくれたの。この花火大会。きっと彼の心境になにか変化があったんだって思って、楽しみにしてた。
花火、すごく綺麗だった。久しぶりに彼と会えて嬉しかった。でも、だからこそ、違うんだって思った」

京子の胸の痛みが、叫んでいる心が、いつかの俺と重なって痛い。彼女の右手に、ぐっと力が入る。

「私だけが、好きなのは、違うんだって。板倉はもう、私を見てなんかいない。未来とか将来とか、他に必死になりたいものができたんだって。だからね、花火が終わって、『別れよう』って言われたとき、そのまま頷いちゃったよ。しかも、ほっとしてる自分がいた。そんなのおかしいって思いながら、でもこれがお互いにとって正解だったって。むしろ、最後にこんな素敵な思い出をくれてありがとうって——」

キラキラ光る宝石。本当に綺麗だった。
自分にもいつか、こんなふうに誰かを想いながら、泣き叫びながら、ありがとうと笑える日がくるんだろうか。

「今、分かったの。宮沢くんが、板倉に言ってくれたんだね。板倉を動かしてくれたんだね。本当に、ありがとう」

彼女の気持ちがいま、紛れもなく自分に向けられていることがわかった。
ああ、そうか。
愛情はたぶん、好きって気持ちだけから生まれるものじゃないのだ。
こんなふうに、満たされる言葉をくれる彼女への気持ち、昇華するなんてできねえよ。

「俺はっ……自分のことしか考えてなかったよ。でもな、今からも多分、自分のことしか考えねえ。自分と、好きなったやつのことしか考えねえ。それで、いいんだよな?」

彼女は目を丸くして、それからふっと笑みをこぼした。

「うん」

「俺は、岡田のことが好きだ。岡田京子が、世界で一番可愛い。だから俺と、付き合って欲しい」

彼女が弱っているところにつけ込むなんて、最低だと分かっている。
だけど、最低だっていい。どうせ俺は、クラスのみんなから慕われる人間じゃない。醜くても最悪でも、自分の気持ちに正直でありたいと思う。

彼女が、一歩、二歩、足を踏み出す。
そのまま、ぎゅっと俺の手を握りしめて言った。

「ありがとう。これから宮沢くんのこと、ちゃんと見るよ」

キラキラ光る宝石は、今度は彼女の瞳の中。俺はいつか、その光を掴んでやりたい。今はまだ早いけれど、この先のことは俺たちが選んでいけばいい。
ふと、足下に目を落とす。彼女の履いている下駄が、しっかりと俺の足の隣にあった。

彼女との距離、0メートル。

あの日俺は、“可愛い女子ランキング”最下位のきみに、恋をしたんだ。


【終わり】