花火大会は、二駅先の近衛川周辺で行われることになっていた。毎年、河辺では多くの露店がひしめき合う。そこに集まる人たちも、もちろん大勢だ。
「宮沢!」
最寄り駅から一番近くにある端っこの露店の前で待っていると、Tシャツに短パンというラフすぎる格好をした山下が姿を現した。そういう俺も、ポロシャツに短パンだが。
「待たせたな」
「いや、全然」
俺は、祭りに浮かれた周囲の人たちの熱気に、冬眠から覚めて穴蔵から出てきた熊の気分を味わった。俺たちみたいな高校生や大学生、大人たちが現実世界の柵などすっかり忘れたかのように、かき氷やわたあめを片手に祭りを謳歌していた。
「……なんか、調子狂うな」
目に映る浴衣姿の女子たち。色とりどりの花を見ていると、自然と想像してしまう、彼女の浴衣姿。もしここに彼女が来ているのだとすれば、他の皆と同じように、浴衣を着ているのかもしれない。
「宮沢。何があったか詳しいことは知らねーけど、今日はぱーっと忘れて楽しもうぜ!」
白い歯を見せて笑う山下。こいつはいつだって、俺と一緒にいてくれている。普段から俺に従っているクラスメイトは、所詮表面上だけ俺の言う通りにしているだけだ。
だからお前には、頭が上がんねーんだよ。
ふっと、煩悩だらけだった自分の口から笑みがこぼれたのが分かった。
「敵わねえよ、ダチには」
男二人だけだって、俺は十分に幸せ者なのかもしれない。せっかくこいつが誘ってくれたんだから、辛気くさいことを考えるのはやめだ、やめ。
歩き出した俺たち二人は、年甲斐もなく露店廻りに夢中になった。
小腹が空いていたので、たこ焼きやはしまき、とうもろこしを思う存分買い占める。高校男児の食欲はこんなものではおさまらず、結局その後からあげとフランクフルトを追加した。
そういえば昔は、たかが数百円のくじ引きを何度もやりたくて、母親に呆れられるほどせがんでいたっけ。けれど、あの時のワクワクは今も覚えている。いくつになっても祭りの気分は自然と上がる。酒に酔ったサラリーマンの気持ちがよく分かる気がした。
「そろそろ時間だな」
気がつけば午後6時55分。花火大会がもうすぐ始まる。人の流れが、花火のよく見える川辺へと流れていた。
俺たちはお互いにはぐれないように前へ前へと進んだ。
同じように前に進みたい人たちの衣服、浴衣が、俺の身体と擦れ合う。その中で、不意に俺の左半身に柔らかな身体が勢いよく当たった。斜め前を歩いていた紺色の浴衣の女性だった。
「すみませんっ」
その人は黒髪のショートヘアをハーフアップにしており、一見年上の女性に見えた。が、彼女が顔を上げ、しっかりと互いの顔を見てしまった俺たちは、「え?」と同時に声を出した。
そこにいたのは紛れもなく、俺がずっと求めていた女性、岡田京子だった。
「なんで?」と訊く暇もなく、今度は別の誰かが彼女の腕をぐいっと引いてしまったので、そのまま人波に埋もれて見失ってしまった。
「どうした、宮沢」
「いや、なんでもない……」
なんでもない。
なんてことは、決してなかった。
少なくとも、バクバクと激しく脈打っている心臓が、「彼女を追いかけろ」と指図する。けれど、この人の海。どうして彼女を追いかけることができるだろうか。
そのうちに、会場では一発目の花火が天高く打ち上げられた。花火大会の始まりだ。
「うわ、すげえ」
いつのまにか蠢いていた群衆がぴたりと静止し、皆夜の空に咲く花を見入っていた。
赤、緑、青、金色。
眩い光の花が開き、頭上から降ってくる。
バン、バン、と耳の奥に響く打ち上げの音は確かにうるさいのだけれど、目の前の景色に心を奪われ、大きな音も気にならない。
「「おおー!」」
周りから一斉に歓声があがる。連続した金色の光の舞。これまでよりも激しく、光降る空。
隣にいる山下も、少年のように目を輝かせて花火を見つめていた。
こうしていると不思議な気分だ。普段、俺たちは気怠そうに授業を受け、将来のことから目を背けて生きたいと願っている。腐った高校生なのかもしれない。それなのに、美しい花火を目の前にすると、心は踊りこの先何の不安もないような気さえしてくる。
そうだ、大丈夫。
将来がなんだ。恋がなんだ。別に、思い通りに行かなくたっていいじゃないか。どうせ俺にはこいつがいる。一生友達でいてくれる山下。表面上だけでもついてきてくれるクラスメイトのみんな。俺は十分、恵まれているのだ。
ささやかな希望を胸に抱きながら無心で花火に見入っていた。
おそらく、会場にいる全員が同じ思いでいる。どこかで彼女も同じ景色を見ている。それが無性に嬉しい。嬉しいし、切ねえ……。
「宮沢!」
最寄り駅から一番近くにある端っこの露店の前で待っていると、Tシャツに短パンというラフすぎる格好をした山下が姿を現した。そういう俺も、ポロシャツに短パンだが。
「待たせたな」
「いや、全然」
俺は、祭りに浮かれた周囲の人たちの熱気に、冬眠から覚めて穴蔵から出てきた熊の気分を味わった。俺たちみたいな高校生や大学生、大人たちが現実世界の柵などすっかり忘れたかのように、かき氷やわたあめを片手に祭りを謳歌していた。
「……なんか、調子狂うな」
目に映る浴衣姿の女子たち。色とりどりの花を見ていると、自然と想像してしまう、彼女の浴衣姿。もしここに彼女が来ているのだとすれば、他の皆と同じように、浴衣を着ているのかもしれない。
「宮沢。何があったか詳しいことは知らねーけど、今日はぱーっと忘れて楽しもうぜ!」
白い歯を見せて笑う山下。こいつはいつだって、俺と一緒にいてくれている。普段から俺に従っているクラスメイトは、所詮表面上だけ俺の言う通りにしているだけだ。
だからお前には、頭が上がんねーんだよ。
ふっと、煩悩だらけだった自分の口から笑みがこぼれたのが分かった。
「敵わねえよ、ダチには」
男二人だけだって、俺は十分に幸せ者なのかもしれない。せっかくこいつが誘ってくれたんだから、辛気くさいことを考えるのはやめだ、やめ。
歩き出した俺たち二人は、年甲斐もなく露店廻りに夢中になった。
小腹が空いていたので、たこ焼きやはしまき、とうもろこしを思う存分買い占める。高校男児の食欲はこんなものではおさまらず、結局その後からあげとフランクフルトを追加した。
そういえば昔は、たかが数百円のくじ引きを何度もやりたくて、母親に呆れられるほどせがんでいたっけ。けれど、あの時のワクワクは今も覚えている。いくつになっても祭りの気分は自然と上がる。酒に酔ったサラリーマンの気持ちがよく分かる気がした。
「そろそろ時間だな」
気がつけば午後6時55分。花火大会がもうすぐ始まる。人の流れが、花火のよく見える川辺へと流れていた。
俺たちはお互いにはぐれないように前へ前へと進んだ。
同じように前に進みたい人たちの衣服、浴衣が、俺の身体と擦れ合う。その中で、不意に俺の左半身に柔らかな身体が勢いよく当たった。斜め前を歩いていた紺色の浴衣の女性だった。
「すみませんっ」
その人は黒髪のショートヘアをハーフアップにしており、一見年上の女性に見えた。が、彼女が顔を上げ、しっかりと互いの顔を見てしまった俺たちは、「え?」と同時に声を出した。
そこにいたのは紛れもなく、俺がずっと求めていた女性、岡田京子だった。
「なんで?」と訊く暇もなく、今度は別の誰かが彼女の腕をぐいっと引いてしまったので、そのまま人波に埋もれて見失ってしまった。
「どうした、宮沢」
「いや、なんでもない……」
なんでもない。
なんてことは、決してなかった。
少なくとも、バクバクと激しく脈打っている心臓が、「彼女を追いかけろ」と指図する。けれど、この人の海。どうして彼女を追いかけることができるだろうか。
そのうちに、会場では一発目の花火が天高く打ち上げられた。花火大会の始まりだ。
「うわ、すげえ」
いつのまにか蠢いていた群衆がぴたりと静止し、皆夜の空に咲く花を見入っていた。
赤、緑、青、金色。
眩い光の花が開き、頭上から降ってくる。
バン、バン、と耳の奥に響く打ち上げの音は確かにうるさいのだけれど、目の前の景色に心を奪われ、大きな音も気にならない。
「「おおー!」」
周りから一斉に歓声があがる。連続した金色の光の舞。これまでよりも激しく、光降る空。
隣にいる山下も、少年のように目を輝かせて花火を見つめていた。
こうしていると不思議な気分だ。普段、俺たちは気怠そうに授業を受け、将来のことから目を背けて生きたいと願っている。腐った高校生なのかもしれない。それなのに、美しい花火を目の前にすると、心は踊りこの先何の不安もないような気さえしてくる。
そうだ、大丈夫。
将来がなんだ。恋がなんだ。別に、思い通りに行かなくたっていいじゃないか。どうせ俺にはこいつがいる。一生友達でいてくれる山下。表面上だけでもついてきてくれるクラスメイトのみんな。俺は十分、恵まれているのだ。
ささやかな希望を胸に抱きながら無心で花火に見入っていた。
おそらく、会場にいる全員が同じ思いでいる。どこかで彼女も同じ景色を見ている。それが無性に嬉しい。嬉しいし、切ねえ……。