「ところで、太宰が好きなきみなら、当然、この作品は読んだことがあるだろう?」
「……ええ」
『斜陽』といえば、太宰の作品として『人間失格』や『走れメロス』と同様に、読んだことがない人でも一度くらいは題名を聞いたことがある作品だと思う。
主人公、かず子の人生を綴った物語であり、時代に奔走され、没落していく華族の様子が描かれている作品だ。
すると、先輩は本の表紙をじっと見つめ、優しい手つきでその本を触りながら呟いた。
「『人間は、恋と革命のために生れて来たのだ』か……」
その台詞は、この作品を代表する言葉といっても過言ではないくらい、有名な台詞だ。
しかし、それを引用した紗季先輩の顔は、何やら浮かない様子だった。
「いい言葉だけど、今の私にとっては、やはりピンと来ない台詞だね」
紗季先輩は、どうやらこの言葉に共感を得ていないらしい。
「そう……かもしれませんね」
かくゆう俺も、『恋』や『革命』などと大それたことを経験したことはないので、紗季先輩の意見に賛成の意を述べた。
「そっか。やっぱり、私と慎太郎くんは似ているのかもしれないね」
紗季先輩は、俺の返答に満足したように、柔和な笑みを浮かべたまま、持っていた文庫本をそっと返却カウンターの机に置いた。
ただ、その顔に少し翳りがあったように見えたのは、俺の気のせいだろうか?
しかし、紗季先輩はすぐにいつもの含みのある笑みを浮かべながら、隣の空いている椅子を手で示した。