「あー、そうそう。慎太郎、あんたは夏休み、どうすんの?」
俺が感傷に浸っていることなんて露知らず、翠は世間話を再開させる。
もちろん、翠にとって俺は昨日までの俺と同じ高校二年生の白石慎太郎なのであって、まさか中身が大学四年生の俺だなんて想像もしていないだろう。
もし、この場で俺がそのことを告白しようものならば、笑い話にされるか、熱中症で頭がおかしくなったと思われて病院へ行くように勧められるだけだ。
「慎太郎。あたしたちもさー、来年は受験じゃん? そうなったら全然遊べないし、お母さんは塾に行かせるつもり満々らしいし、最後の青春っていうの? そういうのはちゃんと経験しときたいよねー」
頭の後ろで手を組みながら、空を見上げる翠。
「ってか、あたし、ちゃんと大学行けるのかなぁー? この前の期末テストも散々だったし、もしかして結構ヤバいんじゃない? って本気で思ったんだよね」
「……大丈夫だよ。お前はちゃんと、大学に行く」
未来の記憶がある俺としては、今の翠の心配が杞憂であることを知っている。
翠は一年後、唐突に僕と同じ東京の大学に行くと言い出し、猛勉強を始める。
先生や親からも、偏差値的に今からでは間に合わないと止められていた進路だったが、その逆境をはねのけて、翠は見事志望校に合格して上京するのだ。
ただ、その大学が、翠の本当に行きたかった大学ではないことを、俺は薄々感じてはいたが、何も言わなかった。
それでも、翠はちゃんと勉強をして、大学に進学するのだ。
「ほえ? なに、慎太郎? あんたがあたしを褒めるなんて珍しいじゃん? いっつもあたしのテストの点数みて馬鹿にしてくるのにさ」
「えっ? いや、そりゃあ……」
翠の発言に、たじろいでしまった俺は、咄嗟に言い訳を考えようとするが上手く言葉が出てこなかった。
「慎太郎……あんた……」
そして、翠は眉間に皺を寄せながら僕に近づいてきて……。
「いやぁ~、あんたも、やっとそのひん曲がった性格を改めるようになったか~!」
そういって、いきなり俺の頭を羽交い絞めにしてきた。
その瞬間、翠から伝わってくる体温に、思わず俺は膠着してしまう。
汗に交じったシャンプーの甘い香り。
そして、ずっと俺たちはこうした馬鹿なことをやっていたんだなと、記憶が想起させられる。
同時に、つい昨日……、この世界ではもっと先の未来の話になるのかもしれないが、最後に俺が見た翠の表情とは、似ても似つかないくらい、無邪気な笑みを浮かべている。
そうだ。
翠は、こんな風に笑う奴だった。
その笑顔を、多分俺は、五年間ずっと、見ることができずにいた。
俺のせいで、翠は本当の笑顔を出さないようになっていることを知っていたのに、俺はずっと、自分には関係ないと、見ない振りをして生きてきた。
「翠……あのさ」
俺のせいで、翠は彼女自身の人生まで大きく変えた。
それが俺の傲慢の考えということもわかっているのだが、それでも、やっぱり俺は、今の翠のままでいてほしい。
「ん? 何よ、慎太郎?」
翠は俺から手を放して、不思議そうな顔で覗き込む。
世話焼きで、馬鹿みたいに明るくて。
そして、俺にとって、とても大切な友人だ。
「翠……もう、俺のことは……」
そんな翠に、俺が謝ろうとした、そのときだった。