「…………」
だが、紗季先輩は優しく微笑んでいるだけで、何の反応も示さなかったことに、俺はだんだんと不安が押し寄せてきてしまった。
「……あ、あの……先輩?」
段々と恥ずかしさもこみ上げて来て、俺はすぐにでもベンチから立ち上がり、逃げ出したい気持ちになってしまう。
しかし、ベンチから立ち上がったのは紗季先輩のほうで、少しずつ離れて行った先輩は、ゆっくりと振り返って、俺を見た。
「慎太郎くん」
いつの間にか、マスクをずらして、素顔を見せる紗季先輩。
そして、彼女ははっきりとした言葉で、俺に告げる。
「私も、きみのことがずっと大好きだったよ」
周りは暗いはずなのに、俺にははっきりと、先輩が笑っている顔を見ることができた。
今まで見てきたどんな笑顔よりも無邪気で、純粋な笑顔。
ああ、そうか。
俺はずっと、先輩のこういう姿が、みたかったんだ。
「……でも、残念だったね。慎太郎くん」
「残念って、何がですか?」
「いやいや、もし世の中がこんな情勢じゃなければ、私はきみにハグをするどころか、キスをしてしまうくらいには気持ちが舞い上がっているというのにね」
「えっ!?」
思わず声を上げてしまった僕を見て、紗季先輩はクスクスと笑う。
いつの間にか、マスクはもう口元に戻して、素顔は隠れてしまっている。
「だって、今の今まで、きみは私に何も言ってくれなかったのだよ? あれ、もしかして慎太郎くんは、ただのお人よしで、私のことなんて、全く女として見ていないのではないか? と思っていたくらいだよ」
「そっ、そんなわけないじゃないですか!?」
確かに、先輩に対する気持ちがなんなのか、自分でもわからない時期があった。
だけど、今ははっきりと、俺は紗季先輩のことが好きなのだと、断言できる。
「まあ、そのことを翠ちゃんに相談したら、彼女は毎回フォローしてくれたけどね」
どうやら、俺のヘタレっぷりが親友にも迷惑をかけてしまっていたようだった。
だけど、こうしてちゃんと、先輩に告白をすることができたのも、翠がいてくれたおかげなのかもしれない。
そもそも、俺がこうして先輩を助け出せたのも、翠があの日、夏祭りに誘ってくれて、紗季先輩の話題を出してくれたからだ。
それで、俺は紗季先輩のことを思い出したくて、『人間失格』の文庫本を手に取った。
そして、文庫本に残されていた栞を見つけて、紗季先輩を助け出すことができたのだ。