〇 〇 〇
「…………ん、んん……なんだ……」
俺は、ふらふらになった頭を持ち上げて、身体を起き上がらせる。
なんだか、不思議な夢を見ていたような気がする。
だが、その内容は全く思い出せない。
それでも、とても大事なことを誰かから聞いたことだけは、はっきりと覚えている。
「……ってか、俺、何してたんだっけ?」
まだ自分が寝ぼけているのか、いまいち記憶がはっきりとしない。
えっと……確か……俺は夏祭りの現場で、紗季先輩と出会って、それから……。
「……そうだ! 紗季先輩!!」
俺は、ベッドから飛び跳ねて、紗季先輩を捜す。
「……あれ? ってか俺、なんでここにいるんだ?」
だが、そこで俺は違和感に気付く。
そう、俺が目を覚ましたのは、自分の部屋のベッドの上で、窓の外は、もう夕暮れ時なのか、日が沈みそうになっていた。
「俺、さっきまで神社にいた……よな?」
俺の記憶では、つい先ほどまで空也さんから紗季先輩を守るために、賀郭神社の山道に逃げこんだはずだ。
確か、そこで空也さんに追い付かれて……。
「……そうだよ。俺、ナイフで刺されて……!」
思い出した途端、強烈な寒気に襲われ、全身に冷や汗が流れる。
俺は、急いで自分が着ていたシャツを捲り上げて、腹部を確認した。
「……えっ?」
だが、そこにはサバイバルナイフなど刺さっていなかったし、血など一滴も零れていなかった。
ただ、大きな傷跡だけは生々しく身体に残っているだけだ。
「夢じゃなかった……って、ことだよな?」
だとしたら、あれから時間が経ったってことなのか?
そして、ふと目に入ったのは、部屋に掛けられたカレンダーだった。
母さんが毎年、銀行から貰ってくるシンプルなデザインのカレンダー。
一見、なんの変哲もないカレンダーだが、俺はそこに書かれている年号に、驚愕した。
2020年 8月
「うそ……だろ?」
慌てて、俺はカレンダーに近づいて、自分の見間違いではないのかと何度も確認するが、印刷されている数字は何度見直しても二〇二〇年の八月だった。
そして、ベッドに置いてあったスマホの画面も見てみると、日付は八月十日の月曜日と表示されていた。
その日付に、俺は既視感を覚える。
「まさか……戻ってきた……のか?」
そうだ、その西暦と日付は、俺がこの町に戻ってきた日だった。
だが、なぜ急に元の世界に戻ってきたんだ?
俺は今までずっと、五年前の世界にいたはずだ。
なのに、一体どうして……。
すると、ドタドタ、と誰かが階段を上がって来る音が部屋にも響く。
そして、俺の部屋の前でピタリとその音が止まると、ノックもなしに扉が開いた。
「ちょっと、慎太郎。うるさいわよ! 学校の課題やってたんじゃないの!?」
扉の前には、眉間に皺を寄せた母が立っていた。
「母さんも……戻っている」
俺はじっくりと母の姿を見つめるが、やはり昨日まで見ていた母の姿ではなく、大学生の俺が見たときの、少し皺の増えた母の姿だった。
「訳わかんないこと言ってんじゃないわよ。って、またクーラーの温度下げたでしょ! 身体を冷やしすぎるのも良くないって、さっきも言ったじゃない、もう!」
そういうと、母はクーラーのリモコンを取って、温度調整をした。
だが、俺はそこでもまた、違和感に気付いた。
「なぁ、母さん。クーラーって、壊れてなかったっけ?」
そうだ。二〇二〇年の俺の部屋では、クーラーは壊れて使えないはずだ。
それなのに、先ほどまでちゃんと動いていたことを証明するように、部屋に設置されたクーラーは、音を立てながらリモコンの指示に従って冷風を停止させた。
「壊れてたって、それ、去年の話でしょ。あんたに散々文句言われたから今年はちゃんと直しておいたのに、何言ってんのよ本当に」
……去年?
「去年って……俺、帰って来てないよな?」
「はぁ? あんた、夏は毎年帰って来てんでしょ?」
俺が毎年帰って来ているだって?
そんなはずはない。なぜなら、俺はずっとこの町に帰ってくることを拒んでいたし、今年帰ってきたのも、母が言う通り祖父ちゃんの法事があったからだ。
……いや、ちょっと待て。
クーラーだけじゃない。他にも、おかしいところがあることに気が付いた。
「なあ、母さん。叔父さんたち、静かじゃないか? リビングにいるんだろう?」
この時間帯くらいなら、もう叔父さんたちは集まっているはずなので、もっとうるさい声が聞こえてくるはずだ。
「ちょっとあんた、何言ってんのよ?」
しかし、母さんはクーラーのとき以上に、怪訝そうな顔を浮かべた。
「いや……だって、法事があるから……」
「法事? あるわけないでしょ? 正直、あんたが帰ってくるのも、最初は心配してたんだけどね……」
「心配?」
「だから、コロナよコロナ。なんか帰省するのも駄目だって言われてたけど、PCR検査も受けてくれてたし、感染対策もちゃんとしてきたみたいだったから、それなら、せめて慎太郎だけでもお祖父ちゃんのお墓の掃除、手伝ってもらおうと思ってね」
なんだ?
母さんの言っていることが、俺には一ミリも理解できなかった。
すると、混乱する俺を遮るように、下の階からブザー音が鳴り響いた。
「はいはい~。どなたかしら?」
ブザー音に返答するように、母はそのまま玄関まで向かっていく。
「あら! ちょっと、慎太郎。あんたも来なさい!」
俺は、只々呆然と立ち尽くしているだけだったのだが、母の呼ぶ声が聞こえて来て、何がなんだかわからないまま、玄関まで足を運ぶ。
だが、俺が玄関の前に到着すると、驚愕の光景を目の当たりにするのだった。