「そっか……あのお兄さんが……」
「あんた、知ってるの? その人のこと?」
「……ああ、一度だけ会ったことがある」
それも、つい昨日のことだというのは伝えるべきかどうか悩んだが、翠が追及してこなかったので、俺の口から話すことはなかった。
そういえば、元の世界で俺はお兄さんとは一度も顔を合わせたことはなかった。夏休み中に帰ってくるくらいだから、大学は俺のように都会の学校に通っているのだろうか?
そういう詳しい話はしていなかったので、想像でしかないのだが。
「……ねえ、慎太郎。黒崎先輩、大丈夫よね?」
「翠……」
不安そうに、そう尋ねる翠の態度を見て、思わず俺は言ってしまった。
「……ありがとな。紗季先輩のこと、心配してくれて」
翠も、今では紗季先輩の味方でいてくれている。
俺には、それがどうしようもなく嬉しく感じてしまった。
「はぁ!? べ、別に心配なんてしてないわよ! ただ、あたしだってその……色々誤解してるかもしれなかったし……それに……」
口ごもりながら、色々と言い訳を見繕う翠だったが、最後は真面目な顔をして、俺に言った。
「……慎太郎が好きになった人なら、あたしだって信じたいのよ」
俺は、そう告げた翠を、呆然と眺める。
「な、何よ……。あたし、変なこと言った?」
「いや……その、俺、翠が幼なじみでいてくれて、本当に良かったなって」
どんなときでも、翠は俺の傍にいてくれた。
そして、今もこうして、一緒にいてくれる。
「ありがとう、翠」
だから、俺はもう一度、翠に先ほどと同じ言葉を告げた。
でも、これは紗季先輩のことに対してではなく、俺が何十年も翠に言えなかった、感謝の気持ちだ。