「少しだけ、私の話をしてもいいだろうか?」
先輩は、申し訳なさそうな視線を俺に向ける。
その瞳が、俺には道端に捨てられた子猫のようで、あまりにも弱弱しい。
俺は、何も言わずに、首を縦に動かした。
すると、先輩は安心したかのように、ゆっくりと笑みをつくる。
そして、紗季先輩は自分の過去を俺に教えてくれた。
「私が中学生のときの話だが、当時はあまり、裕福な家庭ではなくてね。お母さんは元々身体も弱い人なのに、無理に仕事をし続けたのが原因で肺炎を患ってしまって、入院をすることになったんだ」
先輩の声は、いつものように淡々としたものだった。
だが、その声に含まれている感情は、とても悲しい色を帯びている。
「とても暑い……夏の日だったよ……。私は学校が夏休みだったから、毎日お母さんのお見舞いに行っていたんだけど、ある日、お母さんの病室に大勢の大人たちが集まっていたんだ」
そして、浅く息を吸い込んだ紗季先輩は、俺に言った。
「それが、お母さんの亡くなった日だ」
そのころの先輩は、スマホどころか携帯も所持していなかったそうだ。
だから、お母さんの容態が急に悪化してしまったときも、先輩は何も知らずにいつものように病院へ向かっていた。
そして、紗季先輩は言葉を交わせないまま、母親の最後を看取ることになってしまった。
「私にとって、たった一人の家族だったんだ。いつも優しくて、よく私の頭を撫でてくれる人だったんだよ……。それが中学生になっても続いていたから、さすがに私も文句を言ったことがあるんだけどね」
その温もりを思い出したかのように、先輩は照れくさそうに笑顔を浮かべる。
きっと、先輩にとっては大切な思い出で、何より、紗季先輩が母親のことが大好きだったことがよく伝わってきた。
――だけど、そのお母さんは、もうこの世にはいない。