「……と。真名人」

誰かが、俺を呼んでいる。
瞳美か……? そういえば瞳美、助かったんだっけ。きっと、助かったと信じている。

混濁する記憶の中で、重たいまぶたを上げて最初に目にしたのは、俺の顔を心配そうに覗き込む母の顔だった。

「母さん……?」

母は、目を覚ました俺を異星人でも見るかのように「まあ」と口に手を当てながらそこにいた。母の顔の背後に見える白い天井から、自分が今病院にいるのだと悟る。廊下からは看護婦さんたちがバタバタと駆け回る足音が聞こえてきて、どうやらこの緊急事態に失神してしまって申し訳ないと、冷静に反省する自分が馬鹿みたいだと思えた。

「真名人。良かったわ、気がついて……!」
とりえず俺が無事だと知った母が、ほおっと安堵のため息を漏らした。
「心配かけて、ごめん」
「もう、本当よっ! 長いこと帰ってこないからスマホ鳴らしたのに全然繋がらないし……私がどれだけあんたを探し回ったと思ってんの!」

息子の身体が大丈夫だと分かった途端、これまで溜まっていた感情をぶつける母を、俺は決して不快だとは思わなかった。ただ、看護婦さんがやって来てからもお小言が止まらないのは、ちょっと恥ずかしかったが。

「真名人を叱るのは、その辺にしておきなさい」

「あなた」

病室の扉の向こうから現れた父が、母の肩に手を置いた。それでたちまちしゅんと大人しくなる母も母だ。父さんの一声って、どんだけ強いんだろう。

「真名人、ここに運ばれてくるまでのことを覚えているか」

「覚えてるよ。俺は、瞳美を探しに行ったんだ。そうしたら彼女が橋の下で土砂に閉じ込められてた」

「そうだな。意識ははっきりしてるみたいだし、大丈夫そうだな」

看護婦さんがそこにいるというのに、まるで病院の先生みたいな質問をして満足そうに頷くのは父さんらしい。

「真名人君の容態を確認したいので、少しよろしいですか」

看護婦さんから体温を計られたり質問をされたりしている間、俺は両親に聞きたいことを我慢していた。しばらくされるがままにしていると、「もう大丈夫ですよ」と看護婦さんが告げる。検査が終わるとすぐに、俺は父の腕を掴んでいた。

「父さん、彼女はどこにいるの」

今自分が一番気になっていること。瞳美はちゃんと助けられたのかということ。俺が彼女を助けるすんでのところで倒れてしまったため、彼女の安否が分からない。だから早く、教えてくれ。

「瞳美ちゃんならこの病院にいる。あとで、会いに行ってやれ」

「そうか……よかった」

全身からきゅううっと力が抜けていくのが分かった。彼女が無事だというだけで、身体に残っていた疲れや傷が消えていくようにさえ思えた。

「真名人を助けたのも、瞳美ちゃんなんだぞ」

「え、それどういう意味?」

父さんの口からびっくりするような言葉が出て来て、俺は耳を疑った。
だって、彼女と俺は普通に救急車で運ばれたものだと思っていたのだ。

「母さんと俺はお前がなかなか帰ってこないから二人で手分けして探しに出たんだ。しばらく探し回って、どこにもいないからやっぱり帰ろう。家で待ってる方がすれ違わずに済むかもしれないと思っていたんだが」

そこで父は一旦言葉を切って、母の方を見た。どうやら続きは母さんの方から話してほしいというみたいだ。

「お父さんは住宅街へ、お母さんは川の方へ行ったの。諦めてたけれど、どうしても連れて帰りたいと思ったから。川を見て驚いた。だって、土手が崩れて河川敷が見えなくなってたもの。呆気にとられてた時、川の橋の上で、足を引きずりながら歩いてくる瞳美ちゃんが見えた」

母はその時のことを思い出したようで、真剣なまなざしで瞳美のことを語る。俺が知らない彼女のことを。

「瞳美ちゃん、私をみつけたら真っ先に私のところまで来て、腕を掴んで言ったの。『真名人くんを助けて』って。私、彼女が喋れないことを知っていたからびっくりして。決して上手な話し方じゃなかったし、途切れがちで言葉も曖昧で、初めはなんて言ってるのか分からなかったわ。でもね、とても必死だったの。苦しそうに、ほとんど叫んでるみたいに私にすがりついてるのを見て、状況がなんとなく分かった。『瞳美ちゃん、真名人はどこ?』って聞いて。彼女、聞こえてなかったんでしょうけど、私の腕を引っ張ってあなたの倒れてるところまで連れていってくれた。だからそこで私が救急車を呼べたの」

なんということだ。
確かに瞳美は声を出せるようになったといっても、流暢には話せないため救急車までは呼べない。だから俺が持っているスマホを使うこともできなかった。
その状況で彼女がやったことは、自ら動き助けを呼ぶことだった。
怖かっただろう。勇気がいっただろう。現れたのが知らない誰かだったら、喋ることができない分不安だっただろう。現実は俺の母親だったが、昨日の今日で母さんと接するのは躊躇われたはずだ。
しかし、それでも彼女は母さんに助けを求めた。その時の様子を聞いていれば、彼女の中にあるのは恐怖ではなく愛情だ。俺を助けたいと思う気持ちが彼女を動かしたのだ。

「母さん、俺、瞳美に会ってくる」