7月11日。

「瞳美、久しぶり!」

大きく手を振って嬉しそうに駆け寄ってきてくれた宮本さんは、編集サークル『陽だまり』の友達だ。入院中サークルに顔を出せていなかった私は、退院した翌日に皆に会いに行った。メンバーが集まっての活動自体、週に一回か二回しかないため、ブランクのある期間はそれほど長くない。自分がいなかった期間を愁うよりも、自分の身体が普通と変わってしまったことに関して、皆にどう説明すれば良いかが分からなかった。

だから、サークルで一番仲の良い宮本花鈴みやもとかりんに、事前にメールで伝えておいた。
花鈴はきっと他のメンバーにも、私の耳のことを伝えてくれたはずだから、これ以上自分から何度も説明する必要はないはずだ。
『陽だまり』には部室のような部屋はなく、毎回活動場所を決めて集まっている。それは食堂だったり、図書館の中にあるミーティングエリアだったりするが、今日は日中授業が行われていた講義室の一角だった。
集まったメンバーは5人。私と花鈴、三年生の鶴見凌、一宮拓也、上野真衣。一年生はいなかった。もっとも、一年生とはまだそれほど深く関われていないので、今日この場に来てくれていなくても仕方がない。

「おかえり、瞳美ちゃん」

三年生の上野さんが向けてくれる優しい目を見て、彼女がかけてくれた言葉が何となく分かる。声が聞こえなくても、文字がなくても。

「ご心配おかけしました」

「まったく、本当に心配したよ。垣内も気にしてたし」

「ちょっと、瞳美ちゃんの前で垣内の話はNG」

「あー、ごめんごめん」

コントのように頭を掻く鶴見さん。あまり聞き取れなかったが、大したことではないだろう。
それから常備している会話用ノートに言いたいことを書き連ね、事故から今日までの生活のことを皆に話した。
皆、初めて接する難聴の人間を前に、どんな反応をすれば良いのか分からず戸惑っているのが明らかだ。俯き、辛そうに眉根を寄せる者、「そっか……」と呟いてみせる者と、各々だが、そのどれもが私にとっては「皆を困らせている」というふうに捉えられた。

「本当に、聞こえないのか……」

私には聞こえていないと思ったのか、鶴見さんは感傷的な面持ちだ。だけど、私には分かる。もう、口元や表情でどんなことを話したのか、大体分かってしまうのだ。

「聞こえません」

でも、大丈夫なんです。
聞こえなくても、私は話せるし、こうして息ができる。
ある意味それは虚勢だし、一番に自分を励ますための心意気だ。だけど、それでもいい。私の身体がどうなったところで、真名人くんや中島君のように、変わらず接してくれる人がいる。だから本当に大丈夫なのだと、私は信じたい。

泣きそうだった。たったそれだけを伝えたいのに、言葉が出なければ、伝えられないのか。伝わらないのか。確かに声の大きさや強弱、抑揚をつけることはできないかもしれない。訴えるように叫んだり念押ししたりはできないかもしれない。

けれど、心はこんなに「伝えたい」でいっぱいなんだと——。

「でも、こうして瞳美ちゃん元気になったんだし、きっと大丈夫ですよ」

ふと、気がつくと自分自身、頰がこわばってこれでは伝えたい思いも伝わるはずないじゃないか、と情けなくなったときだった。
同級生の宮本花鈴が、三年生たちに笑いかけているところを見た。笑いながら、私の背中をぽんと押した。
その動作だけで、細部までは聞き取れなかったけれど、彼女が私や先輩たちを安心させてくれているのだと分かって、今度は嬉しくて涙が出そうだった。

「そっか、うん。そうだよね。本人がこうして出てきてくれたのに、私たちが暗い雰囲気になっちゃダメよねえ」

「だな。またこれから一緒に頑張ろう」

一宮さんが差し出してくれた手を、私はそっと握り返す。
良かった、暗い空気にならなくて。
自分の存在が、皆の輪を乱してしまうなんて、絶対に嫌だ。
そうならなくて、本当に良かった。

伝えたいことを身振り手振りで表現する日々。
ノートに書き連ね、時間はかかるけれど正確な言葉を伝える日々。

大変だけれど、良いこともある。

「私、日記を書いたんです。病院でやることがなくて暇だったから、毎日つけていました。だからそれをきちんと作品にします」

もともと私は日常のエッセイを作品として綴っていたが、病院での日々はエッセイの執筆を助長するのに十分だった。しかも、もしかしたら病院で書いたことが、同じような境遇にいる人の心に届くかもしれないのだ。そう考えると、俄然やる気が湧いた。

「めっちゃいいじゃん! 瞳美ちゃんの作品、できたら読ませてね」

「私にもお願い。文芸誌にも載せるし、頑張って」

「普通は経験できないことも書けるだろうからな。期待してる」

「終わったらまた皆で合評会だな」

「ありがとうございます。頑張ります」


基本的に個人活動が中心のサークルなのに、こんなに温かい励ましを受けられるなんて、私は良い友人や先輩を持ったものだ。
私が前を向きさえすれば、誰もかも私にネガティブな言葉をかけないだろうし、たとえそうでなくても、感じ方は変わるはずだ。だから、決めた。きちんと完成させよう。私の日記。エッセイ。「伝えられない」に悩む全ての人へ。音や言葉が聞こえなくても、私は夢中で生きてみせると、そう伝えられるように。