会計時、俺が二人分のご飯代を払うと言うと、彼女は「いいよ。私払うよ」と当たり前のように首を振った。けれどここは男気の見せどころ。遠慮する彼女に「いいから」と押し切って二人分の支払いを済ませた俺は、自己満足に過ぎないが彼女と二人でご飯を食べたことにとても満たされていた。

「ありがとう。ごちそうさま」

最後には観念した彼女が遠慮がちに俺の前で手を合わせたのが可愛らしく、俺はそんな彼女をずっと見ていたい衝動に駆られた。ダメだ、今の俺、客観的に見たら絶対気持ち悪い。脳内で「おい早坂」と中島が横から突いてくる映像が再生されてぶるっと首を横に振った。そんな一人芸を繰り広げる俺を、彼女は不思議そうな眼で見ていた。

「家まで送るよ」

大学の周辺に下宿しているという彼女をその場で一人にするのはなんとなく気が引けたし、それ以上に夜道を女の子一人で歩かせるのは危ないと思い、俺はそう提案した。
「ありがとう」
嫌がれるかと思いもしたが、案外すんなり受け入れてくれたため、俺たちは彼女の家の方向に歩き出した。

「すぐだから」と言う彼女は、どんな言葉を続けようとしたのだろうか。「すぐだからきっと疲れないよ」なのか、「すぐだからお言葉に甘えよう」なのか。たぶんどっちでもないんだろうけれど、自分と二人で帰ることを肯定してくれて嬉しかったのは確かだ。

「大学の近くって、やっぱり大学生多いだろう?」

「そうね、多分そう。住み始めたばかりでまだ分かんないけど、時々夜中に騒が
しい声が聞こえる」

「そっか、それは迷惑だな」

「うん、本当に」

迷惑——と言いかけた彼女が、突然さっと耳を塞ぐのを、俺は横から見ていた。
そのすぐ後、

「マジでー!? 行く行く、今から飲もうぜー!」

ワーキャーと、向かいから歩いてくる4,5人の大学生とすれ違う。
きっと彼らは仲間とワイワイはしゃぐことを生きがいにしているような人種だ。俺や彼女からは程遠い存在——ああ、そうか。
俺は彼女がなぜ耳を塞いでいるのか、少しだけ分かった気がした。

「雨宮さん、大丈夫?」

「ごめんなさい……」

はしゃぎ声が聞こえなくなるまで、随分と時間がかかった。それほど彼らは大きな声ではしゃいでいた。彼らから遠ざかり、しばらくして彼女はようやく耳を塞いでいた手を離した。

「謝ることないよ。あいつら、ちょっとうるさかったね。どうしたの」

「ううん、早坂君の言う通り、本当にうるさかっただけ」

俺も人のはしゃぎ声を鬱陶しいなと思うことはあるけれど、彼女のように耳を塞ぐという行動に出るまではしたことがなかったので、少しばかり焦ってしまった。

「そっか。あんまり気にしない方が良い」

「……うん、そうだね」

淋しそうにそう答える彼女を見て、俺は失敗したか——と思った。
それから、大学の合格発表の日に彼女を初めて見かけた日のことを思い出す。

そういえばあの時、彼女は歓声や落胆の声が響く音だらけの世界の中で、一人耳を塞いで苦しそうに立ちすくんでいたということを。