***
「え、合格!? あんたが?」
全くうちの母親と言ったら、どうしてこうも失礼なんだろう。
その日は、高校三年間 (と言っても自分の場合、バスケ部を引退した高三の夏以降)の努力を発揮した受験結果を見に行った日だった。
今朝、受験した大学まで結果を見に行こうと早起きして家の玄関に降り立ったとき、
「今日結果発表よね、真名人。あんた一人で結果見に行くの?」
と母親が聞いてきた。
俺は、「お母さんも行こうか?」なんて言い出しかねない母を右手で制して、
「友達と行くから大丈夫」
とやんわりと告げた。
これは、「お母さんは来なくて良い」という拒絶の意に他ならないが、母は「あ、そう」と思いの外あっさり引き下がる。息子のこと気になるのかそうじゃないのかどっちなんだとつっこみたくなったが、ここはあえて「おう」と短く返事しておく。
母親っていう生き物は、息子からすると摩訶不思議な生物だ。
息子のことを放置して適度に自由にさせてくるのは良いが、時々お節介なほど世話を焼いてくることがある。いや、時々というか、かなり頻繁にだ。
この間だって、センター試験の前の日にお守りを渡してきたり、当日のお弁当に
「がんばれ、まなと!」と海苔でメッセージを添えてきたりした。「が」と「ば」の右上の点々が剥がれて、ハンバーグの方にひっついていたため、「かんはれ、まなと!」になっていたことを、うちの母親は知らない。
とにかく、その日は昼休みに後ろの席に座っていた他の受験生にお弁当を覗き込まれるのが恥ずかしくて、ご飯の入っている段をさっと閉めてしまった。結局ごはんが入っていない方(二段弁当で、一段目にごはんとハンバーグ、二段目にその他のおかずが入っていた)の二段目のおかずだけしか食べられなかった。
ハンバーグが一番の好物だった自分にとっては悲しい思い出だ。
と、そんなこんなでお節介な母親は、まさか自分の親切が、息子を苦しめることになっていただなんて、知るよしもない。
他の家庭でもそうなのかは分からないが、とりわけうちの母親は周囲の目を気にして見栄を張るし、噂話を鵜呑みにして一度信じたことは絶対に疑わない性格だ。
そのため、この歳になってまであまり母と二人きりで人目の触れる場所に行きたくないというのが正直なところ。
「それじゃ、行ってきます」
この日も母と二人で受験結果を見に行くだなんて最悪の事態を免れてほっとしながら家を出た。
「結果分かったらすぐ報告してね!」
家を出る前に母がはりきってそう言ってきたのに辟易しながら「はいはい」と適当に流しておく。
結果が分かったら、と言うが、悪い方の結果だった場合、そんなにすぐに報告できるようなメンタルの強さはない。「母に早く報告できる=良い結果」でないといけない。
「おっす」
最寄り駅で、同じバスケ部かつ同じ大学を受験した中島春樹と会い、互いに手を振った。駅から一緒に行くことを約束していた友達。ちなみに、俺が高校時代に一番仲の良かった奴だ。いわゆる親友、だろうか。
「どうよ、今の気分は」
「最悪だな。今朝なんか、コーヒーに間違って塩入れちゃったんだぜ。飲んでみるまで気づかなくて、口つけた瞬間『かっら!!』って悶絶してた」
「なんだよそれ」
朝から忙しい中島はケラケラと笑いながらいつものように冗談を繰り出す。こいつは普段からこんなふうに、受験なんて大層な物事でも軽い冗談に変えてしまうようなさっぱりとした性格だから、気に入っている。
俺は俺で、こういう重大な日にどんな言葉をかけていいか分からない質であるため、中島みたいな友達がいると気が楽だ。
「とにかく、いこーぜ」
「おうよ」
俺たちは二人で受験した大学の最寄り駅まで電車で向かった。
といっても乗車した「平松」という駅から大学の最寄り駅「戸羽」まで、20分しかかからない。実家から大学に通えるとすれば、とても便利だろうなと思いながら、同じように高校生とも大学生とも言いようのない受験生らしき人と一緒に、俺たちは戸羽までガタゴト運ばれていった。
「え、合格!? あんたが?」
全くうちの母親と言ったら、どうしてこうも失礼なんだろう。
その日は、高校三年間 (と言っても自分の場合、バスケ部を引退した高三の夏以降)の努力を発揮した受験結果を見に行った日だった。
今朝、受験した大学まで結果を見に行こうと早起きして家の玄関に降り立ったとき、
「今日結果発表よね、真名人。あんた一人で結果見に行くの?」
と母親が聞いてきた。
俺は、「お母さんも行こうか?」なんて言い出しかねない母を右手で制して、
「友達と行くから大丈夫」
とやんわりと告げた。
これは、「お母さんは来なくて良い」という拒絶の意に他ならないが、母は「あ、そう」と思いの外あっさり引き下がる。息子のこと気になるのかそうじゃないのかどっちなんだとつっこみたくなったが、ここはあえて「おう」と短く返事しておく。
母親っていう生き物は、息子からすると摩訶不思議な生物だ。
息子のことを放置して適度に自由にさせてくるのは良いが、時々お節介なほど世話を焼いてくることがある。いや、時々というか、かなり頻繁にだ。
この間だって、センター試験の前の日にお守りを渡してきたり、当日のお弁当に
「がんばれ、まなと!」と海苔でメッセージを添えてきたりした。「が」と「ば」の右上の点々が剥がれて、ハンバーグの方にひっついていたため、「かんはれ、まなと!」になっていたことを、うちの母親は知らない。
とにかく、その日は昼休みに後ろの席に座っていた他の受験生にお弁当を覗き込まれるのが恥ずかしくて、ご飯の入っている段をさっと閉めてしまった。結局ごはんが入っていない方(二段弁当で、一段目にごはんとハンバーグ、二段目にその他のおかずが入っていた)の二段目のおかずだけしか食べられなかった。
ハンバーグが一番の好物だった自分にとっては悲しい思い出だ。
と、そんなこんなでお節介な母親は、まさか自分の親切が、息子を苦しめることになっていただなんて、知るよしもない。
他の家庭でもそうなのかは分からないが、とりわけうちの母親は周囲の目を気にして見栄を張るし、噂話を鵜呑みにして一度信じたことは絶対に疑わない性格だ。
そのため、この歳になってまであまり母と二人きりで人目の触れる場所に行きたくないというのが正直なところ。
「それじゃ、行ってきます」
この日も母と二人で受験結果を見に行くだなんて最悪の事態を免れてほっとしながら家を出た。
「結果分かったらすぐ報告してね!」
家を出る前に母がはりきってそう言ってきたのに辟易しながら「はいはい」と適当に流しておく。
結果が分かったら、と言うが、悪い方の結果だった場合、そんなにすぐに報告できるようなメンタルの強さはない。「母に早く報告できる=良い結果」でないといけない。
「おっす」
最寄り駅で、同じバスケ部かつ同じ大学を受験した中島春樹と会い、互いに手を振った。駅から一緒に行くことを約束していた友達。ちなみに、俺が高校時代に一番仲の良かった奴だ。いわゆる親友、だろうか。
「どうよ、今の気分は」
「最悪だな。今朝なんか、コーヒーに間違って塩入れちゃったんだぜ。飲んでみるまで気づかなくて、口つけた瞬間『かっら!!』って悶絶してた」
「なんだよそれ」
朝から忙しい中島はケラケラと笑いながらいつものように冗談を繰り出す。こいつは普段からこんなふうに、受験なんて大層な物事でも軽い冗談に変えてしまうようなさっぱりとした性格だから、気に入っている。
俺は俺で、こういう重大な日にどんな言葉をかけていいか分からない質であるため、中島みたいな友達がいると気が楽だ。
「とにかく、いこーぜ」
「おうよ」
俺たちは二人で受験した大学の最寄り駅まで電車で向かった。
といっても乗車した「平松」という駅から大学の最寄り駅「戸羽」まで、20分しかかからない。実家から大学に通えるとすれば、とても便利だろうなと思いながら、同じように高校生とも大学生とも言いようのない受験生らしき人と一緒に、俺たちは戸羽までガタゴト運ばれていった。