渡り廊下から校舎へと戻った僕は、教室に帰ろうと廊下を歩いていると。
「〜♪」
どこからともなく音が聴こえた。
それは短い単音だった。
……これってピアノ?
立ち止まっていると、また音が鳴る。
確か、この廊下を真っ直ぐいけば、たどりつくのは〝音楽室〟だ。
誰かがピアノを弾いている。
……気になる。
咄嗟に思った僕は、教室の方ではなく音楽室へと続く奥へと向かった。
ドアの前にたどりつくと、いくつもの音が重なってメロディーが聴こえ始める。
それはゆっくりと流れて、やがて心を揺さぶるような音が鳴り響く。
鼓動はどくどくと暴れて、いつのまにか握りしめていた拳からは季節とは対照的な汗が滲んだ。
胸をえぐられるような、心に突き刺さるようなーーそんな音を肌で感じた僕は、ゴクリと息を飲む。
誰が弾いているのか知りたい。
でも勝手に盗み見するのはまずい。
そんな感情が交錯する中、好奇心の方が上回って、
「ちょっとだけならいいよね」
誘惑に負けてしまった僕は、ドアの向こう側にいる人物に気づかれないように、数センチ開いたままになっていたドアに手をかけた。
まず一番先に視界に映り込んだのは、ピアノの前に座っていた女の子の姿。
制服は当然この学校のもので、背中まで伸びている黒髪は一度も染めたことがないのを主張するかのように艶があった。
窓から入り込む風に心地良さそうに揺れる髪の毛と、ピアノの音色が一体感を醸し出している。
「ーー綺麗だ」
思わず口をついて出た。
もう少し近くで聴きたい、そう思った僕は足を一歩前へ進めた。
その瞬間、わずかに足がタイルの溝に躓いて「わっ!」声をあげた。
倒れることはなかったけれど、代わりにピタリと音色が止まる。
「だ、誰……?」
びくっと肩を震わせて、警戒心をあらわにしながら振り向いた女の子は、僕がよく知る人物だった。
「ーーあっ……」
小さく漏れた声に、慌てて口を抑えた。
昨日の放課後に会った岩倉さんが、ピアノの前でこちらを見ていたからだ。
彼女は明らかに僕を警戒している。
草食動物が肉食動物に見つかってどうやって逃げようかとしている姿と岩倉さんがぴったりと重なって見えた。