アシュリーの紹介で訪れた屋敷の前で、サラは思わず立ち尽くしていた。
それは今まで探していた建物によく似ていたからだ。
サラが15歳の時、突然母ローラが姿を消した。母がサラに残した唯一の品が銀細工の飾りの付いた古い手鏡だった。
手鏡の背面は蓋が開くようになっており、その中にローラの肖像画が入っている。その背景にはサラの知らない立派な建物が描かれていた。その建物こそ母を探す唯一の手がかりに違いないと、サラは街を転々としてきた。
今まさにサラの目の前に建っている屋敷が、その肖像画の背景に描かれた建物に酷似していた。
肖像画の背景は庭から描かれたもののようで、サラの立っている正面玄関から見た様子では必ずしも同じ場所とは断定できなかったが、建築様式や屋根の形、庭の奥に見える大きな楠がよく似ている。
サラの勘はここだと告げていた。できれば庭に入って確かめたい。その為にはここで働くのが一番だ。アシュリーの紹介を断る手はない。
ただ本当にそこで働いて良いものか、サラは戸惑っていた。
「本当に私なんかが領主様の御屋敷で雇って貰えるんですか?」
「俺が身元保証人なんだ。文句ないはずだ」
その自信はどこから来るのだろう。サラは呆れつつも初めてアシュリーを頼もしく思った。面倒見のいい所は兄に持つなら良いかもしれない。そんなことさえ思った。
アシュリーの紹介で訪れたのは領主様の御屋敷だった。
三日後に面接に来るよう言われ、その日は奇術の館に戻った。
占い師を辞める前に、ハイディから預かった小箱について調べておかなければならない。
翌日、サラはリリアが学校から帰って来るであろう時間を見計らってサルマンホテルへと赴いた。
ほんの少しグレンがいるのではないかと期待してみたが、そんな偶然はそうそうあるはずがなかった。
ホテルのポーターがリリアは裏庭にいると教えてくれたので、サラはラウンジに背を向け裏庭へ出た。
裏庭の東屋でリリアとアレンは仲良く並んで勉強をしているところだった。
「こんにちは、リリア、アレン」
二人はサラを見ると立ち上がって駆け寄ってきた。
「サラ、今日も占いをするの?」
「今日はね、これを見てもらいたくて来たの」
サラは持ってきた小箱を二人によく見えるように差し出した。
「リリアのオルゴールに似てると思ったんだけど」
「似てるけど違う」
先に答えたのはアレンだった。
リリアはじっと小箱を見ていたけれど、一点を指さして言った。
「これ鍵穴?」
「そうみたい。鍵が無くて開かないの」
「わたしのオルゴールの鍵はこれよ」
そう言ってリリアは首からぶら下げたペンダントを引き出した。
「この鍵で開けられるか試してみる?」
リリアは軽く首を傾げサラを見上げた。
リリアのオルゴールでないなら鍵は開かないだろう。けれど小箱の鍵はそれほど複雑な作りではない。もしかしたら大きさが合えば違う鍵でも開くかもしれない。
「やってみて」
三人はまるで宝箱を開ける時のようにドキドキしながら、慎重に鍵を鍵穴に差し込むリリアの手元を見ていた。
鍵は小さな鍵穴にすっと入った。けれどやはり回らず、箱を開けることはできなかった。
「残念。でもこの花の飾りは私のオルゴールのと同じだと思う」
「え、どれ?」
「ほら、ここの花びらが五枚あって真ん中に真珠がはまってるの」
「同じ人が作ったのかしら」
「ちょっと触ってみてもいい?」
アレンがそう言うのでサラは小箱をアレンの手に乗せた。じっと小箱を見ていたアレンは鼻を近付けるとクンと臭いを嗅ぐ。
「この箱、何か変だ」
「え?」
「上手く言えないけど、中に何かいるかもしれない」
アレンの言葉にサラは血の気が引いていくのを感じた。箱の中に虫やネズミがいるところを想像してしまう。アレンが持っていなかったら小箱を放り出していたところだ。
「アレン、その何かって例えばどんな?」
リリアは何ともないのか、アレンの手から小箱を取り上げしげしげと眺めている。
「嫌な臭いのする奴だよ」
アレンは片腕を鼻に当て眉をしかめた。
「この箱どうするの?」
リリアに問われてサラはどうしたものかと思案に暮れた。
「これはお友達がこのホテルの庭で貰ったものなの。もし危険な物なら処分するしかないけど……」
「占ってみたら?」
リリアにキラキラとした目で見つめられ、サラは笑みをこぼした。
「そうね。やってみるわ。二人ともありがとう」
「「どういたしまして」」
仲良く声を揃える二人にサラが別れを告げると、リリアが内緒の話をするようにサラの手を引っ張って耳元に手をかざした。
「今度アレンと一緒に奇術の館にショーを見に行くの」
「そうなの?」
「三日後よ。グレンが連れて行ってくれるの」
「三日後……」
せっかくグレンに会えるかもしれないというのに、間の悪いことに三日後は領主様の館で面接を受けることになっている。
ため息が出そうなのを堪えてサラは微笑んだ。
「きっと楽しめると思うわ。特にハシリのナイフ投げは最高だから見逃さないでね」
二人と別れ、サラは奇術の館へ戻るために通りを歩きだした。
何となく去りがたいのは、まだ偶然の出会いを期待しているせいかもしれない。ハイディが領主様との偶然の出会いを思い描いているように。
あっという間に二日が経ち、サラはアシュリーの紹介状を手に領主の館を訪れていた。
面接には領主の秘書であるエドニーという男が現れた。細身で眼鏡をかけており、歳は二十代後半と言ったところだろうか。シワひとつないスーツ、髪はぴたりと撫でつけられており、見るからに神経質そうな人物だった。
サラを上から下まで一瞥すると、手元の手帳に何やら書き込みながらサラにいくつかの質問をした。
「これまでにメイドの経験は?」
「ありません」
「貴族の館で働いたことは?」
「ありません」
「物覚えは?」
「メモして覚えます」
「体力は?」
「回復力はあります」
「通い、それとも住み込み希望?」
「できればしばらくは通いでお願いします」
「通いなら勤務時間は朝の5時から13時まで、もしくは13時から21時までのどちらかを選択可能」
「では朝の5時から13時まででお願いします」
「よろしい。では明日から出勤を。仕事内容は先輩メイドから習うように」
「はい。ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「屋敷の中で見聞きした事は他言無用」
「はい、もちろん承知しております」
「では本日は以上。明日からよろしくサラ」
差し出された手を握り返すと、エドニーは一瞬だけ微かな笑みを浮かべたようだった。終始無表情で、言葉に飾り気が少しもないことから冷たい印象を受けたけれど、そうでもないのかもしれない。
そうして簡潔極まりない面接はあっという間に終わった。
サラは来た道を引き返しながら、メイドとして働くなら奇術の館の仕事は辞めなくてはならないと思っていたが、
「辞めなくても大丈夫そうだわ」
そう呟いて下り坂を悠々と歩いた。占い師になる時一年の契約を結んでいることをすっかり忘れていたのだった。サラが占い師を始めてまだ半年にもならない。座長がすんなり辞めさせてはくれないだろう。
契約期間が終わるまでは掛け持ちで働くしかない。
「占いは午後から夜にかけてやればいいわ」
ザダの門から領主の館までは一本道。緩やかな登り坂になっている。奇術の館から領主の館まで、サラの足で片道一時間半程の距離だ。行きは登り道、帰りは下り道になる。
サラは下町から坂を登ってくる自転車に乗った郵便配達員とすれ違った瞬間ひらめいた。
「自転車があればぐっと通勤時間が短縮できるわね」
ある程度お金が溜まったら部屋を借りるのもいいかもしれない。期待に胸を膨らませながら大通りから左に折れて中古品店を目指した。
そこでばったり会ったのはアシュリー捜査官だった。
「面接終わったのか?」
「はい、紹介状ありがとうございました」
「住み込みにするのか?」
「いいえ、通います」
「それで自転車を買いに来たのか」
アシュリーがまさにその自転車のハンドルに手をかけている。店に自転車は一台きりだった。
「まさか、それをお買いになるんですか」
サラが落胆を隠せずに尋ねると、アシュリーは笑いながら頷いた。
「俺も歳だからな。巡回にこれがあれば楽だろうと思ってな」
「歳って、まだ二十代でしょ?」
「お前より年上だ」
嬉しそうに胸を反らすアシュリーにサラは呆れながらも、もしかしたらわざと自分を困らせて楽しんでいるのかもしれないと思えた。
サラに「お願いします譲ってください」と言わせたいに違いない。
「いいですよ。わたしはあきらめます。まだ若いですから」
アシュリーが自転車を眺めているすきにサラは思い切り顔をしかめてさっさと踵を返す。
これ以上アシュリーに借りを作っては後で何を要求されるか分からない。
翌朝、と言っても三時はまだ夜中と言って差し支えないが、暗い中をサラは身支度を済ませて外へ出た。
そこで始めてこんな暗闇の中を一時間半も歩くのかと絶望的な気分になった。
小さなカンテラを持ってはいるが、光は足元をどうにか照らす程で、月明かりもない夜道は不気味な音たちに支配されている。
それでも初日から遅れるわけにはいかないと、サラは足を踏み出そうとした。その時「おい」という声とともに肩を誰かに掴まれて飛び上がりそうなほど驚いた。
「おい、意地張ってるなよ。ほら送ってやるから乗れ」
自転車に跨ったアシュリーだった。
「乗れって、え、まさか私を待っていたんですか?」
どれだけお節介好きなのだろう、この男は。サラは呆れながらもほっと胸を撫で下ろした。
「話も聞かずに帰りやがって」
「毎日わたしを送ってくださるつもりですか?」
「俺はそんなに暇じゃない。今日だけ特別だ。それからもしここから通うのが大変なら」
アシュリーはそこまで言ってサラの腕を引き自転車の後ろに乗るよう顎で指し示す。サラが戸惑いながらも、荷台に横座りすると、アシュリーはサラの腕を自分の腰にまわさせた。
「俺の家からなら歩いても半時間程だ」
「アシュリー捜査官て貴族街に住んでるんですか?」
「話の要点はそこじゃない」
アシュリーは言いにくいのか、力強くペダルを漕ぎながら続きをなかなか口にしなかった。
サラが買うつもりだった自転車を横取りしたことを後悔しているのだろうかとも考えてみたが、そもそもアシュリーが先に自転車を見ていたのだ。アシュリーがサラに気を使う理由などない。
いつものお節介にしては、こんな時間に外で待っているというのはやり過ぎな気もする。
サラは戸惑いながら遠慮がちにアシュリーの服を握りしめていた。
「住み込みで働くんじゃないなら、うちに住め」
「は?」
「何度も言わせるな」
「何故です? 何故わたしがアシュリー捜査官の家に住むんですか?」
「お前に仕事を紹介したのは俺だ。そのせいでお前に何かあったら寝覚めが悪い」
「何かあってもわたしの責任ですよ。寝覚めが悪いだなんて。それに何もありませんよ」
「うるさい。どうせ占い師は辞めるんだろ? 行く所がないなら黙って俺に甘えてろ」
瞬間、サラの頬がかっと熱くなった。アシュリーに言われてときめいたなどと絶対に知られたくない。それでも返す言葉がしばらく見つからず、サラは顔を背けて風に頬をさらした。
アシュリーもそれ以上何も言わず、ペダルを漕ぎ続けていた。
「占い師はしばらく続ける予定です。わたしのことが心配ならしっかり巡回お願いしますね」
サラがようやくそれを口にした頃には、領主の館が目の前に見えていた。
アシュリーは自転車を置いて行こうとしたが、サラがそれを頑なに拒んだ。
「それは俺に迎えに来いってことだな?」
「違います!」
そこまで言うなら最初から自転車を譲ってくれれば良かったのに。さすがにそんな言葉は胸の内に留めた。
緩やかとはいえ、上り坂をサラを乗せて自転車を漕ぎ続けたアシュリーのシャツは汗で湿っている。
「早く帰ってシャワーを浴びないと風邪引きますよ。送ってくれてありがとうございました。でももう大丈夫ですから」
「お前、……甘えろって言ったのに素直じゃないな、まったく」
アシュリーはがしがしと頭を掻いて自転車に跨ると、じゃぁなと片手を挙げて去っていった。
「アシュリー捜査官、どうしちゃったのかしら。何故わたしにここまでしてくれるの」
アシュリーの背中を見送りながら、サラは首を捻る。
それでもアシュリーのおかげで予定より早く領主の館に到着したし、暗闇の中を怖々歩くこともなく体力が温存されている。
メイドの仕事は占い師と違って動き回る体力仕事に違いない。サラは領主の館の裏門に向かって、まだ夜明けのこない暗闇の中に足を踏み出した。
「こんな時間に誰だ」
門の脇にある小屋から誰何され、サラは立ち止まった。
「今日からこちらで働かせていただくサラと言います」
「ああ、新しいメイドか。まだ早い。メイド頭が鍵を開けるまでここで待つといい」
そう言って小屋の扉を開いた壮年の男には片足がなかった。
「俺は守衛のブルックスだ。よろしくな」
ブルックスは杖を突きながらサラを守衛室に招き入れた。
ブルックスはサラにお茶を入れてくれ、朝食のパンまで分けてくれた。
早朝の時間、他に訪れる人もなく守衛にこれといった仕事はない。
「ここの仕事はいい。守衛もメイドも庭師もみんな領主様に大事にされてる。良いところに雇われて良かったな」
ブルックスはそう言うと、窓際の椅子に座った。
「ここには大勢が働いてる。みんな交替で働くから一日に七時間以上働かされることはない。誰かが休んでも常の日ならまぁそう困ることもない。祭りの時だけは忙しいがな」
ブルックスはそう教えてくれ、自分がここで働くことになった経緯についても語った。
子どもが二人いながら妻に先立たれ、先代の領主が二人の子どもを育てる助けをしてくれたのだと言う。
「俺はこのとおり片足を事故で無くしちまったんで、なかなか仕事も見つからずにいたんだ。食うに困って盗みを働いたこともある。そん時俺を捕まえた捜査官がここを紹介してくれたおかげで、今じゃ息子たちも立派に大人になって働いてる」
「その捜査官て……」
「領主様の叔父にあたるそうだ」
もしかしてアシュリーかと思ったが、年齢からしてアシュリーではブルックスの話に合わない。領主の叔父ならブルックスと同じくらいの年齢だろうか。
話している間に空が白み始めた。
「そろそらマチルダが鍵を開けるだろう。最初は覚えることがたくさんあって大変だろうがすぐに慣れる」
これまでいくつかの街に住み、その度に占い師として働いてきたサラにとって、メイドとして働くのは初めてのことだった。
ブルックスと話したおかげで緊張がほぐれ、初めての仕事も案外早く馴染めそうな気がした。
ブルックスに送り出されて館の裏口へ向かうと、ちょうど扉が開いて中からメイドが現れた。
サラより頭ひとつ分くらい背の低い丸顔の女性だった。
「マチルダよ。このお屋敷でもう二十年働いてるの」
マチルダはサラに綺麗に畳まれた服を手渡しながら説明を始める。マチルダの着ている白いブラウスと紺色のスカートと同じ物のようだ。
「これ制服ね。ここに来たらこれに着替えて、帰る時に洗濯室に置いて帰ってね。午後のメイドが洗濯してくれるから。わたしたちは午後のメイドの制服を洗うのよ」
マチルダの後について洗濯室をのぞくと、広い部屋にたくさんの籠とアイロン台が置いてある。
そこから向こうに向かって窓が大きく開いている。
「洗濯は外の洗い場でして、裏庭に干すの。乾いたらここでアイロン掛け。各部屋の担当に引き継いだら終わり。あなたはまずここの仕事からね」
館の住人たちの起床時間が過ぎると、各部屋付きのメイドたちが一斉にシーツや夜着などを洗濯室に持ち込んで来るという。
「それまでは洗濯室の掃除と洗剤の補充、シーツや服に傷みがないかの確認、外の業者に洗濯を依頼するものなんかの仕分けをするの」
「外の業者?」
「そう。スーツやドレスはここでは洗わないの。洗えないしね。でもそういうのを綺麗にしてくれる専門の業者がいてね、毎朝取りに来るから、それまでに飾りの宝石がついているドレスなんかはそれをまず外すのよ」
お嬢様のドレスは飾りが多くて大変よとマチルダは嫌そうに首を振った。
「まぁ、そう言ってもドレスを業者に出すのはパーティや式典のあった日の翌日くらいだけどね」
「でも貴族の方は同じドレスを二度は着ないって聞いたけど」
「普通はそうね。でもこのお屋敷の方は物をとっても大事にされるから、ドレスなんてどれも何代も前から受け継がれていたりするのよ」
「じゃあ、もし傷をつけたりしたら大変ね」
「そうね。取り扱いは慎重にね。まぁそういうのはベテランのメイドがやるから心配ないわ」
マチルダの声は聞き取り安く、身振り手振りを交えて教えてくれるので分かりやすい。
ひと通り洗濯室の説明をした後、マチルダはポケットから一枚の紙を取り出した。
「忘れないうちに渡しておくわね。あなた銀行口座を持ってる?」
「いえ、持っていません」
「ここのお給金は一部は現金支給、残りは銀行口座に振り込まれるの。帰りにそこの銀行で口座を作ってこの紙に口座番号を書いておいてね。エドニーったらあなたに渡すのを忘れてたんですって。きっと可愛い子を前にして緊張してたのよ」
面接の時のエドニーの様子を思い出してサラは首を傾げる。冷静そのものに見えたのに、緊張していたなんて信じられない。
「エドニーさんて領主様の秘書をされているんですよね」
「そう、元々二人は幼なじみでね。まったく反対のタイプなのに何故か気が合ってるみたいなのよね」
マチルダと話している間に次々と洗濯室のメイドたちが出勤してきた。
サラを含めて六人が洗濯室の午前のチームだった。
自己紹介の後、仕事を教わりながら半日があっという間に過ぎていった。
それは今まで探していた建物によく似ていたからだ。
サラが15歳の時、突然母ローラが姿を消した。母がサラに残した唯一の品が銀細工の飾りの付いた古い手鏡だった。
手鏡の背面は蓋が開くようになっており、その中にローラの肖像画が入っている。その背景にはサラの知らない立派な建物が描かれていた。その建物こそ母を探す唯一の手がかりに違いないと、サラは街を転々としてきた。
今まさにサラの目の前に建っている屋敷が、その肖像画の背景に描かれた建物に酷似していた。
肖像画の背景は庭から描かれたもののようで、サラの立っている正面玄関から見た様子では必ずしも同じ場所とは断定できなかったが、建築様式や屋根の形、庭の奥に見える大きな楠がよく似ている。
サラの勘はここだと告げていた。できれば庭に入って確かめたい。その為にはここで働くのが一番だ。アシュリーの紹介を断る手はない。
ただ本当にそこで働いて良いものか、サラは戸惑っていた。
「本当に私なんかが領主様の御屋敷で雇って貰えるんですか?」
「俺が身元保証人なんだ。文句ないはずだ」
その自信はどこから来るのだろう。サラは呆れつつも初めてアシュリーを頼もしく思った。面倒見のいい所は兄に持つなら良いかもしれない。そんなことさえ思った。
アシュリーの紹介で訪れたのは領主様の御屋敷だった。
三日後に面接に来るよう言われ、その日は奇術の館に戻った。
占い師を辞める前に、ハイディから預かった小箱について調べておかなければならない。
翌日、サラはリリアが学校から帰って来るであろう時間を見計らってサルマンホテルへと赴いた。
ほんの少しグレンがいるのではないかと期待してみたが、そんな偶然はそうそうあるはずがなかった。
ホテルのポーターがリリアは裏庭にいると教えてくれたので、サラはラウンジに背を向け裏庭へ出た。
裏庭の東屋でリリアとアレンは仲良く並んで勉強をしているところだった。
「こんにちは、リリア、アレン」
二人はサラを見ると立ち上がって駆け寄ってきた。
「サラ、今日も占いをするの?」
「今日はね、これを見てもらいたくて来たの」
サラは持ってきた小箱を二人によく見えるように差し出した。
「リリアのオルゴールに似てると思ったんだけど」
「似てるけど違う」
先に答えたのはアレンだった。
リリアはじっと小箱を見ていたけれど、一点を指さして言った。
「これ鍵穴?」
「そうみたい。鍵が無くて開かないの」
「わたしのオルゴールの鍵はこれよ」
そう言ってリリアは首からぶら下げたペンダントを引き出した。
「この鍵で開けられるか試してみる?」
リリアは軽く首を傾げサラを見上げた。
リリアのオルゴールでないなら鍵は開かないだろう。けれど小箱の鍵はそれほど複雑な作りではない。もしかしたら大きさが合えば違う鍵でも開くかもしれない。
「やってみて」
三人はまるで宝箱を開ける時のようにドキドキしながら、慎重に鍵を鍵穴に差し込むリリアの手元を見ていた。
鍵は小さな鍵穴にすっと入った。けれどやはり回らず、箱を開けることはできなかった。
「残念。でもこの花の飾りは私のオルゴールのと同じだと思う」
「え、どれ?」
「ほら、ここの花びらが五枚あって真ん中に真珠がはまってるの」
「同じ人が作ったのかしら」
「ちょっと触ってみてもいい?」
アレンがそう言うのでサラは小箱をアレンの手に乗せた。じっと小箱を見ていたアレンは鼻を近付けるとクンと臭いを嗅ぐ。
「この箱、何か変だ」
「え?」
「上手く言えないけど、中に何かいるかもしれない」
アレンの言葉にサラは血の気が引いていくのを感じた。箱の中に虫やネズミがいるところを想像してしまう。アレンが持っていなかったら小箱を放り出していたところだ。
「アレン、その何かって例えばどんな?」
リリアは何ともないのか、アレンの手から小箱を取り上げしげしげと眺めている。
「嫌な臭いのする奴だよ」
アレンは片腕を鼻に当て眉をしかめた。
「この箱どうするの?」
リリアに問われてサラはどうしたものかと思案に暮れた。
「これはお友達がこのホテルの庭で貰ったものなの。もし危険な物なら処分するしかないけど……」
「占ってみたら?」
リリアにキラキラとした目で見つめられ、サラは笑みをこぼした。
「そうね。やってみるわ。二人ともありがとう」
「「どういたしまして」」
仲良く声を揃える二人にサラが別れを告げると、リリアが内緒の話をするようにサラの手を引っ張って耳元に手をかざした。
「今度アレンと一緒に奇術の館にショーを見に行くの」
「そうなの?」
「三日後よ。グレンが連れて行ってくれるの」
「三日後……」
せっかくグレンに会えるかもしれないというのに、間の悪いことに三日後は領主様の館で面接を受けることになっている。
ため息が出そうなのを堪えてサラは微笑んだ。
「きっと楽しめると思うわ。特にハシリのナイフ投げは最高だから見逃さないでね」
二人と別れ、サラは奇術の館へ戻るために通りを歩きだした。
何となく去りがたいのは、まだ偶然の出会いを期待しているせいかもしれない。ハイディが領主様との偶然の出会いを思い描いているように。
あっという間に二日が経ち、サラはアシュリーの紹介状を手に領主の館を訪れていた。
面接には領主の秘書であるエドニーという男が現れた。細身で眼鏡をかけており、歳は二十代後半と言ったところだろうか。シワひとつないスーツ、髪はぴたりと撫でつけられており、見るからに神経質そうな人物だった。
サラを上から下まで一瞥すると、手元の手帳に何やら書き込みながらサラにいくつかの質問をした。
「これまでにメイドの経験は?」
「ありません」
「貴族の館で働いたことは?」
「ありません」
「物覚えは?」
「メモして覚えます」
「体力は?」
「回復力はあります」
「通い、それとも住み込み希望?」
「できればしばらくは通いでお願いします」
「通いなら勤務時間は朝の5時から13時まで、もしくは13時から21時までのどちらかを選択可能」
「では朝の5時から13時まででお願いします」
「よろしい。では明日から出勤を。仕事内容は先輩メイドから習うように」
「はい。ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「屋敷の中で見聞きした事は他言無用」
「はい、もちろん承知しております」
「では本日は以上。明日からよろしくサラ」
差し出された手を握り返すと、エドニーは一瞬だけ微かな笑みを浮かべたようだった。終始無表情で、言葉に飾り気が少しもないことから冷たい印象を受けたけれど、そうでもないのかもしれない。
そうして簡潔極まりない面接はあっという間に終わった。
サラは来た道を引き返しながら、メイドとして働くなら奇術の館の仕事は辞めなくてはならないと思っていたが、
「辞めなくても大丈夫そうだわ」
そう呟いて下り坂を悠々と歩いた。占い師になる時一年の契約を結んでいることをすっかり忘れていたのだった。サラが占い師を始めてまだ半年にもならない。座長がすんなり辞めさせてはくれないだろう。
契約期間が終わるまでは掛け持ちで働くしかない。
「占いは午後から夜にかけてやればいいわ」
ザダの門から領主の館までは一本道。緩やかな登り坂になっている。奇術の館から領主の館まで、サラの足で片道一時間半程の距離だ。行きは登り道、帰りは下り道になる。
サラは下町から坂を登ってくる自転車に乗った郵便配達員とすれ違った瞬間ひらめいた。
「自転車があればぐっと通勤時間が短縮できるわね」
ある程度お金が溜まったら部屋を借りるのもいいかもしれない。期待に胸を膨らませながら大通りから左に折れて中古品店を目指した。
そこでばったり会ったのはアシュリー捜査官だった。
「面接終わったのか?」
「はい、紹介状ありがとうございました」
「住み込みにするのか?」
「いいえ、通います」
「それで自転車を買いに来たのか」
アシュリーがまさにその自転車のハンドルに手をかけている。店に自転車は一台きりだった。
「まさか、それをお買いになるんですか」
サラが落胆を隠せずに尋ねると、アシュリーは笑いながら頷いた。
「俺も歳だからな。巡回にこれがあれば楽だろうと思ってな」
「歳って、まだ二十代でしょ?」
「お前より年上だ」
嬉しそうに胸を反らすアシュリーにサラは呆れながらも、もしかしたらわざと自分を困らせて楽しんでいるのかもしれないと思えた。
サラに「お願いします譲ってください」と言わせたいに違いない。
「いいですよ。わたしはあきらめます。まだ若いですから」
アシュリーが自転車を眺めているすきにサラは思い切り顔をしかめてさっさと踵を返す。
これ以上アシュリーに借りを作っては後で何を要求されるか分からない。
翌朝、と言っても三時はまだ夜中と言って差し支えないが、暗い中をサラは身支度を済ませて外へ出た。
そこで始めてこんな暗闇の中を一時間半も歩くのかと絶望的な気分になった。
小さなカンテラを持ってはいるが、光は足元をどうにか照らす程で、月明かりもない夜道は不気味な音たちに支配されている。
それでも初日から遅れるわけにはいかないと、サラは足を踏み出そうとした。その時「おい」という声とともに肩を誰かに掴まれて飛び上がりそうなほど驚いた。
「おい、意地張ってるなよ。ほら送ってやるから乗れ」
自転車に跨ったアシュリーだった。
「乗れって、え、まさか私を待っていたんですか?」
どれだけお節介好きなのだろう、この男は。サラは呆れながらもほっと胸を撫で下ろした。
「話も聞かずに帰りやがって」
「毎日わたしを送ってくださるつもりですか?」
「俺はそんなに暇じゃない。今日だけ特別だ。それからもしここから通うのが大変なら」
アシュリーはそこまで言ってサラの腕を引き自転車の後ろに乗るよう顎で指し示す。サラが戸惑いながらも、荷台に横座りすると、アシュリーはサラの腕を自分の腰にまわさせた。
「俺の家からなら歩いても半時間程だ」
「アシュリー捜査官て貴族街に住んでるんですか?」
「話の要点はそこじゃない」
アシュリーは言いにくいのか、力強くペダルを漕ぎながら続きをなかなか口にしなかった。
サラが買うつもりだった自転車を横取りしたことを後悔しているのだろうかとも考えてみたが、そもそもアシュリーが先に自転車を見ていたのだ。アシュリーがサラに気を使う理由などない。
いつものお節介にしては、こんな時間に外で待っているというのはやり過ぎな気もする。
サラは戸惑いながら遠慮がちにアシュリーの服を握りしめていた。
「住み込みで働くんじゃないなら、うちに住め」
「は?」
「何度も言わせるな」
「何故です? 何故わたしがアシュリー捜査官の家に住むんですか?」
「お前に仕事を紹介したのは俺だ。そのせいでお前に何かあったら寝覚めが悪い」
「何かあってもわたしの責任ですよ。寝覚めが悪いだなんて。それに何もありませんよ」
「うるさい。どうせ占い師は辞めるんだろ? 行く所がないなら黙って俺に甘えてろ」
瞬間、サラの頬がかっと熱くなった。アシュリーに言われてときめいたなどと絶対に知られたくない。それでも返す言葉がしばらく見つからず、サラは顔を背けて風に頬をさらした。
アシュリーもそれ以上何も言わず、ペダルを漕ぎ続けていた。
「占い師はしばらく続ける予定です。わたしのことが心配ならしっかり巡回お願いしますね」
サラがようやくそれを口にした頃には、領主の館が目の前に見えていた。
アシュリーは自転車を置いて行こうとしたが、サラがそれを頑なに拒んだ。
「それは俺に迎えに来いってことだな?」
「違います!」
そこまで言うなら最初から自転車を譲ってくれれば良かったのに。さすがにそんな言葉は胸の内に留めた。
緩やかとはいえ、上り坂をサラを乗せて自転車を漕ぎ続けたアシュリーのシャツは汗で湿っている。
「早く帰ってシャワーを浴びないと風邪引きますよ。送ってくれてありがとうございました。でももう大丈夫ですから」
「お前、……甘えろって言ったのに素直じゃないな、まったく」
アシュリーはがしがしと頭を掻いて自転車に跨ると、じゃぁなと片手を挙げて去っていった。
「アシュリー捜査官、どうしちゃったのかしら。何故わたしにここまでしてくれるの」
アシュリーの背中を見送りながら、サラは首を捻る。
それでもアシュリーのおかげで予定より早く領主の館に到着したし、暗闇の中を怖々歩くこともなく体力が温存されている。
メイドの仕事は占い師と違って動き回る体力仕事に違いない。サラは領主の館の裏門に向かって、まだ夜明けのこない暗闇の中に足を踏み出した。
「こんな時間に誰だ」
門の脇にある小屋から誰何され、サラは立ち止まった。
「今日からこちらで働かせていただくサラと言います」
「ああ、新しいメイドか。まだ早い。メイド頭が鍵を開けるまでここで待つといい」
そう言って小屋の扉を開いた壮年の男には片足がなかった。
「俺は守衛のブルックスだ。よろしくな」
ブルックスは杖を突きながらサラを守衛室に招き入れた。
ブルックスはサラにお茶を入れてくれ、朝食のパンまで分けてくれた。
早朝の時間、他に訪れる人もなく守衛にこれといった仕事はない。
「ここの仕事はいい。守衛もメイドも庭師もみんな領主様に大事にされてる。良いところに雇われて良かったな」
ブルックスはそう言うと、窓際の椅子に座った。
「ここには大勢が働いてる。みんな交替で働くから一日に七時間以上働かされることはない。誰かが休んでも常の日ならまぁそう困ることもない。祭りの時だけは忙しいがな」
ブルックスはそう教えてくれ、自分がここで働くことになった経緯についても語った。
子どもが二人いながら妻に先立たれ、先代の領主が二人の子どもを育てる助けをしてくれたのだと言う。
「俺はこのとおり片足を事故で無くしちまったんで、なかなか仕事も見つからずにいたんだ。食うに困って盗みを働いたこともある。そん時俺を捕まえた捜査官がここを紹介してくれたおかげで、今じゃ息子たちも立派に大人になって働いてる」
「その捜査官て……」
「領主様の叔父にあたるそうだ」
もしかしてアシュリーかと思ったが、年齢からしてアシュリーではブルックスの話に合わない。領主の叔父ならブルックスと同じくらいの年齢だろうか。
話している間に空が白み始めた。
「そろそらマチルダが鍵を開けるだろう。最初は覚えることがたくさんあって大変だろうがすぐに慣れる」
これまでいくつかの街に住み、その度に占い師として働いてきたサラにとって、メイドとして働くのは初めてのことだった。
ブルックスと話したおかげで緊張がほぐれ、初めての仕事も案外早く馴染めそうな気がした。
ブルックスに送り出されて館の裏口へ向かうと、ちょうど扉が開いて中からメイドが現れた。
サラより頭ひとつ分くらい背の低い丸顔の女性だった。
「マチルダよ。このお屋敷でもう二十年働いてるの」
マチルダはサラに綺麗に畳まれた服を手渡しながら説明を始める。マチルダの着ている白いブラウスと紺色のスカートと同じ物のようだ。
「これ制服ね。ここに来たらこれに着替えて、帰る時に洗濯室に置いて帰ってね。午後のメイドが洗濯してくれるから。わたしたちは午後のメイドの制服を洗うのよ」
マチルダの後について洗濯室をのぞくと、広い部屋にたくさんの籠とアイロン台が置いてある。
そこから向こうに向かって窓が大きく開いている。
「洗濯は外の洗い場でして、裏庭に干すの。乾いたらここでアイロン掛け。各部屋の担当に引き継いだら終わり。あなたはまずここの仕事からね」
館の住人たちの起床時間が過ぎると、各部屋付きのメイドたちが一斉にシーツや夜着などを洗濯室に持ち込んで来るという。
「それまでは洗濯室の掃除と洗剤の補充、シーツや服に傷みがないかの確認、外の業者に洗濯を依頼するものなんかの仕分けをするの」
「外の業者?」
「そう。スーツやドレスはここでは洗わないの。洗えないしね。でもそういうのを綺麗にしてくれる専門の業者がいてね、毎朝取りに来るから、それまでに飾りの宝石がついているドレスなんかはそれをまず外すのよ」
お嬢様のドレスは飾りが多くて大変よとマチルダは嫌そうに首を振った。
「まぁ、そう言ってもドレスを業者に出すのはパーティや式典のあった日の翌日くらいだけどね」
「でも貴族の方は同じドレスを二度は着ないって聞いたけど」
「普通はそうね。でもこのお屋敷の方は物をとっても大事にされるから、ドレスなんてどれも何代も前から受け継がれていたりするのよ」
「じゃあ、もし傷をつけたりしたら大変ね」
「そうね。取り扱いは慎重にね。まぁそういうのはベテランのメイドがやるから心配ないわ」
マチルダの声は聞き取り安く、身振り手振りを交えて教えてくれるので分かりやすい。
ひと通り洗濯室の説明をした後、マチルダはポケットから一枚の紙を取り出した。
「忘れないうちに渡しておくわね。あなた銀行口座を持ってる?」
「いえ、持っていません」
「ここのお給金は一部は現金支給、残りは銀行口座に振り込まれるの。帰りにそこの銀行で口座を作ってこの紙に口座番号を書いておいてね。エドニーったらあなたに渡すのを忘れてたんですって。きっと可愛い子を前にして緊張してたのよ」
面接の時のエドニーの様子を思い出してサラは首を傾げる。冷静そのものに見えたのに、緊張していたなんて信じられない。
「エドニーさんて領主様の秘書をされているんですよね」
「そう、元々二人は幼なじみでね。まったく反対のタイプなのに何故か気が合ってるみたいなのよね」
マチルダと話している間に次々と洗濯室のメイドたちが出勤してきた。
サラを含めて六人が洗濯室の午前のチームだった。
自己紹介の後、仕事を教わりながら半日があっという間に過ぎていった。