ほっとして雪原を現世への入口へ向かって歩く。何よりまたこうやって雪月と隣同士で歩くことが出来て嬉しいと思う。すると雪月がおもむろに両腕を宙に広げた。

「雪原の大空よ、今ひとたび、我に従え。降りしきる雪を全て玻璃に」

それは聞いたことのある言葉だった。……雪月の先の作品で、主人公が求婚を受けるときに告げられた言葉だ。
雪月の声に雪が反応して、きらきらと輝く玻璃になる。わあ、と空を見上げた華乃子の手のひらに、その輝く玻璃が落ちて積もった。

「わあ、素敵……」

きらきらと輝く玻璃は、本物の宝石のようだった。

「これは、雪女としての贈り物です。そして」

雪月が袂から小さな黒い箱を取り出した。ぱかっと蓋を開けると、其処には捻梅の台座に玻璃の石が収まった指輪が輝いていた。この台座の形の指輪は見た覚えがある。雪月の小説の取材の為に宝飾品店を訪れた時に店員に見せてもらった形の内のひとつだ。華乃子は三つの形の中でこの形が気に入っていたが、雪月はそれを知っていてこの形を選んだのだろうか……?

「雪女の習慣に指輪を贈ると言う習慣はありませんが、人間の世界では結婚指輪を贈る習慣がありますからね。これは人間の雪月としての、人間の華乃子さんへの僕の気持ちです。式の時までには結婚記念指輪(ウエディングリング)も間に合わせましょう」

普通の結婚指輪は、店で聞いた通り真珠やダイヤモンドが一般的だ。それをわざわざ玻璃で仕立て上げてくれたことに、雪月の気持ちがこもっていると思う。

「先生……。私、凄く醜い勘違いをしてしたのです……。会社で先生が結婚指輪を奮発してご用意されたと噂を聞いた時、あの編集さんとご結婚なさるのかと、裏切られた気持ちになってしまって……」

雪月はいつでも華乃子のことを考えていてくれたというのに、華乃子ときたら、雪山でのことを恨んだり、勘違いをしてやきもちは妬いたり、勝手に寛人と結婚しようともしてしまったし……。

「いえ、全て言動が足りなかった僕の所為です。華乃子さんはお気になさらないでください」
「私、もっと先生に尽くせるように頑張りますね」
「いえ、それもご無理なく。僕が好きなのは、そのままの華乃子さんなので」

目を見てにこりと微笑まれると、なんだか急に恥ずかしくなった。
失敗もやきもちも、全部華乃子のこととして受け止めてくれる。こんな懐の深い人が、華乃子の周りに居ただろうか。

「……先生は、女殺しだわ」

人間でも金や名誉に目が眩む人が居る中、人の根本を愛してくれる雪月は素晴らしいと思う。雪月は華乃子の言葉にふふっと微笑んだ。

「華乃子さんにだけですよ」

雪月が人差し指を唇に寄せて笑った。
雪が玻璃に代わった所為か、雪月の微笑みがきらきらと輝いて見える。

「……先生は、私の心にも玻璃をくださるのですね」
「? 華乃子さんが幸せになってくださったのなら、それが一番です」

雪月が華乃子に手を差し出した。華乃子も雪月の手に自分の手を添える。
手を繋いで歩く雪原は雪が降っているのにあたたかかった。雪月の隣なら、何処に居てもあたたかいんだと分かっていた……。