「しかし社長と副社長は見る目がおありだ。鷹村さんのような女性を、わが社に連れてきてくれるなんて!」
婦人部の売り上げが好調なこともあって、編集長の鼻息が止まらない。しかし、彼の興奮を心地よく受け止めている華乃子にも、社内で囁かれるひそひそとした声が聞こえる。その声は婦人部だけにとどまらず、廊下を通り過ぎる社員たちからも聞かれた。
「鷹村さん、おうちが子爵家なのに、どうしてこんなところで働いてるのかしらね」
「婦人部の編集長も案外、鷹村さんのおうちを気にして仕事をしてるんじゃないかしら。あの人、まだ二年目のくせに出しゃばり過ぎよ」
出る杭は打たれるという言葉は知っている。編集長が華乃子の家を気にしているとは思わないが、華乃子は鷹村を捨てたつもりで働きに出てきているので、こんなところにまで鷹村の名前が及んでしまうのは辛い。やや落ち込んで肩を落として部屋を出て廊下を歩いていると、ふいに声を掛けられた。
「やあ、華乃子ちゃん」
振り向くと、長身に細いストライプのシャツと吊りバンド、縞模様のネクタイにズボンと言ったスタイルの寛人だった。
「おはようございます、九頭宮副社長」
ぺこりと頭を下げて挨拶をすると、浮かない顔してたね、と微笑まれた。見られていたのか。
「いえ、まあ、ちょっと考え事を」
「そうかい? なんだか華乃子ちゃんに似合わない憂いた表情だった。なにか不安だったら聞くよ?」
寛人には私生活でも親切にしてもらっていた。仕事でまで世話になるわけにはいかないし、なにより自分に対する批判を安易に他人に口にしたくない。批判が批判を呼び、自分が苦しくなるだけだと分かっているからだ。
「いえ。仕事は楽しいですし、やりがいを感じています」
「そう? だったらいいけど」
安心したように寛人は言った。ぽん、と気安く華乃子の肩を叩くと、気遣いの言葉を述べた。
「まあ、何かあったら言って? 僕で相談の乗れることなら乗るよ。華乃子ちゃんの為だ。カフェーでも、料亭でも、九頭宮の別荘でも、相談に相応しい場所を設けるよ」
そう言って寛人は去って行った。ありがとうございます、と返事をして去って行く背中を見送る。そんなに悩み事を抱えてる顔だっただろうか。市場を見に行く前に、表情を整えなければ、と華乃子は洗面所に向かった。