「寛人さん……。申し訳ないのですが、婦人部に戻ることは出来ません……。以前居た時も鷹村を傘に仕事をしていたと言われたので、今度寛人さんを頼って戻っても、同じことが繰り返されます。……それに、私を頼ってくださった雪月先生を裏切りたくない気持ちもあります。このまま文芸部に居させていただくことは出来ませんか……?」

華乃子が言うと寛人は大袈裟に驚いた表情をして、肩を竦めた。

「僕は約束を守る男でね。それに、僕は雪月先生の作品を私小説だと思っているんだ。……つまりこれまで悲恋だった作品たちは、全て自分の叶わぬ恋の産物だったと思っていたんだよ。あれだけ悲恋ばかり書けるのもかなり『悲恋』というものに思い入れがないと書けない。雪月先生には以前お会いしたことがあるが、気弱そうに見えて芯の強い目をしてらっしゃった。あれは悲恋に酔う人の目じゃない。初恋を貫く、純粋な人の目だよ」

初恋、か……。雪月の言うことが本当なら、彼の初恋はもしかしたら華乃子になるのかもしれない。しかしその雪月の気持ちも、あの雪女の郷での一件で分からなくなってしまった。本当に華乃子を助ける意思はなかったのだろうか。もしそうなら華乃子が雪月と向き合う必要はないが、彼に傾いてしまったこの気持ちはどうしたら良いのだろう。

「君が雪月先生に付いて、彼は初めて大団円の物語を書いた。つまりこの度、雪月先生の想いは叶ったんだ、と思ったんだよ」

内心驚いている華乃子を他所に、寛人は尚も語る。

「聞けば雪月先生が是非とも、と言って君を担当に引き抜いたそうじゃないか。それで僕は確信したわけなのだよ。雪月先生の想い人は華乃子ちゃんだったんだ、とね」

全くの事実なので否定も出来ないが、否定しないといけない。華乃子は焦って口を開いた。

「雪月先生は私の語る職業婦人に、それはそれは目を輝かせておいででした。思うに、今まで発想のなかった題材こそが、あの大団円に繋がったのではないでしょうか?」

華乃子の言葉に、寛人はふむ、と顎を撫でた。

「つまり、君と雪月先生とは、本当に何の関係もない、と?」
「そうです」

真実を隠してそう頷くと、寛人は、それならば話は早い、と付け加えてこう言った。

「華乃子ちゃん。君、僕と結婚を前提に付き合う気はないかな」
「…………」

…………は?
寛人が何を言ったのか理解できなくて、ぽかんと口を開けて目の前の彼の顔を見つめた。

「女性がそんな大口を開けて間抜け面するものではないよ」

面白そうに寛人が華乃子を見てそう言う。それで華乃子は、漸く揶揄われたのだと分かった。

「寛人さん! 揶揄うのは止めてください!」

のちのち笑い話になるのだろうと思った。しかし寛人は笑みを浮かべたまま、華乃子の言葉を否定した。

「こんな酷い冗談があるものか。僕は本気だ。九頭宮の資産は潤沢だよ。君さえ頷けば、鷹村を見返せるとは思わないかい?」

家を追い出されてからは鷹村のことを考えたことはなかった。寛人もそのつもりで力を貸してくれたのだと思っていた。しかし冷静に考えると、子爵家を飛び出して職業婦人として働く華乃子は華族界でも労働階級でも異端なのかもしれない。

(結局、何処に居ても私は出来損ないなんだわ……)

悔しくて唇を噛み俯く華乃子に、寛人は微笑んだままこう言った。

「古今東西、何処に居てもどんな時でも、力の弱い者は力の強い者に憧れ、惹かれるものなのだよ。君のお継母さんが良い例じゃないか。一夜さんの爵位に惹かれて結婚したんだろう。君と僕にも当てはまることだと思うけどな」

直球で言われると血は繋がっていないとはいえ身内の事なので痛い。そして立場の弱い雇われ人の華乃子が、社長息子の寛人に惹かれないわけがない、とでも言いたいのだろうか。