その夜、華乃子は眠れないで屋敷の天井を見上げていた。
雪月は何故華乃子を助けに来てくれなかったのだろう。昼間は命の危険に晒されて直ぐだったから頭に血が上っていたけど、落ち着いて考えてみれば、あのやさしい雪月が「番うなら貴女だ」と言うまでの相手の危機を見過ごすはずがない。しかし実際に助けに来てくれなかったことは事実だ。何故……、と頭の中で堂々巡りをしていると、すっと細く襖が開いた。

「かーしゃ?」

小さな声で呼ばれて分かった。其処に居るのは雪樹である。
華乃子は布団から出て雪樹の前に膝をついた。こんな夜中にどうしたのだろうと思っていると、雪樹は華乃子の目の前で眉を寄せ、「かーしゃ、ちぅき、とーしゃ」と言った。
かーしゃ、は華乃子の事だろう。しかし、ちぅき、とーしゃとは何のことか。

「雪樹くん。ちぅきってなんのことかな? とーしゃは、お父さんのこと?」

華乃子がそう言うと、雪樹はぱあと目を輝かせ、通じた! と言わんばかりに華乃子の手を引いた。

「えっ? 部屋から出るの?」

それにしては客のくせに浴衣一枚だが……。
雪樹は華乃子の戸惑いに構わず、子供なりの強い力で華乃子を引っ張って行く。引かれるままついて行って、行きついた先は母屋と離れの牢を繋ぐ廊下の前。雪女の郷で雪は降りしきるものの、月明かりが眩しく、母屋の端のこの場所から、牢回りの様子がおぼろげに分かる。牢の前に立っていたのは男の人だった。牢に繋がれているのは勿論千雪だ。

「ち」

ぅき、と雪樹が言葉を続けるのを、華乃子はさえぎって口をふさいだ。何故、そんなことをしてしまったのか、自分でも分からない。華乃子は雪樹と一緒に母屋の陰に身を隠して、じっと牢の方へ意識を向けた。
雪に吸収されつつも、時折聞こえてくる話し声に思わず耳を傾ける。其処には穏やかな会話が響いていた。

「光雪さまも、お認めになられますか」
「ああ。あれは確かに龍久殿の血を引いているな。雪女族に雪は操れても水の御霊は操れない。あれはこの先苦労するのではないか」
「雪月殿とでしたら、大丈夫でしょう。この郷にも、幸をもたらすかと……」
「そうだな。そうあって欲しい」

……『あれ』っていうのはもしかして華乃子の事だろうか。『龍久』とは誰の事だろう。会話の感じとして、彼らの同族……あやかしのことかな、とうかがえる。
この十八年、ずっと人間として慎ましく過ごしてきた。楽しいことばかりじゃなかったけど、人間であることを疑いもせず前を向いて歩んできた。それが、『視える』側じゃなくて『視られる』側だったなんて、本当に人生何が起こるか分からない。
しかし、仮に華乃子があやかしだったとして、じゃあ華乃子の居場所は何処にあるのだろう。沙雪からはこの郷で雪月の隣に座るには相応しくないと言われたし、他に幽世に縁もない。

千雪と男の人は、華乃子と雪月の行く末を幸せであって欲しいと願ってくれている。しかし、現世でも幽世でも異端とされるなら、華乃子は何処で生きていけばいいのだろう。雪月はそれを知って尚、華乃子に手を差し伸べてくれたが、今回助けに来てくれなかったことでわだかまりが残る。
……私はいったい、何処で生きていけばいいのだろう……。
一旦解決したかに見えた問題が、また華乃子に振りかぶって来る。