「昔……、親切にしていただいたから……」
「…………」
…………は? 昔?
雪月の表情に愛の告白を淡く期待してしまった華乃子の耳が、聞こえてきた言葉を掴み損ねる。
「む、……昔? えっ、何時の事ですか? 春?」
春なら華乃子が雪月の許に移動になった頃だ。丁度雪月の食事を作り始めたころで、そのことだろうかと思った。しかし雪月は首を振った。
「もっと前……。……そう、今から十年以上前。華乃子さんが話してくださった、雪降る中おにぎりをあげた少年。あれが僕なんです……」
え……っ?
「えええっ!?」
だって、あの少年はあやかしだと父から聞いて育った。だからあの思い出は華乃子の中で消してしまいたいくらい、辛い思い出と繋がっていた。……雪月の新作が出るまでは。
じゃあ、雪月はあやかしなのか? いや、それにしてはきちんと人間の成りをしている。
「せ……、先生……、は、あやかし……になんて……」
みえませんよ、という言葉は部屋の空気に消え、代わりに雪月の語る声が畳に落ちた。
「僕も……、華乃子さんが嫌がる、あやかしなのです……」
そう言って雪月はすう、と指で天井を差し、その指を左から右へと流した。雪月の指の動きに合わせて風が靡き、室内だというのに細かい雪が風に乗って舞った。雪は雪月が手を下ろすと儚く消えてなくなり、畳を湿らせることもなかった。
「……雪を操る雪女の力。これが、私の妖力(ちから)です。まだ私が幼く、雪が操れなかったばかりに寒い思いをしていたあの日、僕にあたたかい握り飯をわざわざ持ってきてくれた女の子のやさしさに触れたから、僕はあやかしと人間の話を書き続けることが出来たのです。そして、その女の子を、僕はこの東京でずっと探していたのです……」
「…………」
何も言えなかった。
ショックだった。
頭を殴られ、裏切られた気分だとさえ思えた。
あれだけあやかしが視えてしまう華乃子を慰めてくれたのは、華乃子を一人の『人間』として認めてくれたのではなく、あやかしである雪月(じぶん)を認めて欲しかったからなのではないかとさえ思えてしまう。
それに、雪月が華乃子に抱く思いだって、幼い子供が親切にしてくれた相手に対して持つ思慕以外の何物でもなく、ましてやいくら仕事の話で盛り上がったからと言って、恋情である筈がなかったのだ。