「……沙雪は家で決められた婚約者でしてね……。私が幼い頃から家督を継ぐよう言われていたことは話しましたが、その為に決められていた結婚相手が沙雪でした。私が自ら結婚相手を見つけることを認めていない女性で、その価値観は私の父や母と同じです。難しいですね、彼らに私の価値観を説明して納得してもらうのは……。それでも、私は私の信念を曲げるつもりはありませんが」
先程狼狽したのが嘘のように、雪月は強い眼差しで華乃子を見た。
思うに、雪月が悲恋ばかり書いてしまう理由はつまり、家同士の決め事と、自分の意思が反発し合い、上手く折り合いを付けられていないが故ではないだろうか、となんとなく思った。幸福な夢を見ることが出来れば、幸せな結末だって書けるだろうに、雪月自身の身の上が古風な風習に縛られているために、今では古くなったあやかしなどが登場する小説ばかり書くようになったのではないかと推測した。勿論、あやかしという存在自体に愛情を抱いていなければ書けない物語ばかりではあるが、一端に、そういう事柄が関与しているのではないかと思う。
「それでも、沙雪さんも雪月先生のことを心配しておられました。ご相談くらいあっても良いのでは……」
雪月の健康ではなく、雪月に虫が付くことを心配していたのだが、そんなことは言えない。華乃子の言葉に雪月はそれでも首を縦に振らなかった。
「家を出てきている以上、自分のことは自分で面倒を見る必要があります。まあ、華乃子さんに頼りきりだった私が威張って言える言葉ではありませんが、食事のことは行商などの手もありますし、ご心配なさらないでください」
ああ、沙雪さんも片想いだな……、と思うと、先日の彼女の態度があまり憎く思えない。好きな人のことを捕まえておきたいという気持ちは、よく分かるから……。
(私だって、たまたま私の体験談が先生の小説の題材になるから話が弾むだけで、私自身を見て頂けてるわけじゃない……。沙雪さんと同じね……)
沙雪に自分を重ねた華乃子が気落ちすると、それを察するかのように雪月が華乃子を見た。
「……どうかされましたか……? 元気がないようにお見受けしますが……」
雪月はどうしてこんなに人の機微に聡いのだろう。
「いえ……。先生に恋した女性は、報われないな、と……」
雪月が悪いのではない。雪月は自分で生涯を共にする相手を見つけたいと願っているだけだ。ただ、その周りで彼に惹かれる女が少なくとも二人、悲しい思いをしている。
雪月が華乃子の言葉に目をぱちりと瞬かせて、それからふわっと微笑んだ。
……それがまるで、木漏れ日のようにあたたかく華乃子を包むようで、どきっとしてしまう。
そして、雪月の口から紡がれた言葉。
「大丈夫ですよ。……華乃子さんは、絶対に幸せにしてみせますから」
それはまるで、求婚(プロポーズ)のような言葉で。
でも、それは。
「ふふ……。早く次の物語を拝読したいですね……」
薄っぺらな笑みを浮かべて華乃子は応じた。
雪月は華乃子との約束を果たそうとしてくれているだけなのだ。
華乃子は普通の人間じゃないから、誰からも必要とされることはない。
それはもう、身に染みて分かっているのだ……。