「鷹村さん。これ、今回の雪月先生の新刊の献本。届けておいてね」
そう言って先輩の原田から渡されたのは、夏前に雪月から寄稿してもらった小説だ。物語はやはりあやかしと人間の悲恋で、原田は、
「雪月先生、一定の読者はいるっぽいんだけど、芳しい代表作って言うのがないのよね……」
と呟いていた。
(やっぱり題材が古めかしいのがいけないのかしら……。それに世間は大団円を好むわ……。流行りの活劇も美しい男女のハッピーエンドだし、そこへいくと今度の小説はいい方向に向かいそう……)
華乃子は原田から受けとった本を風呂敷に包むと、雪月の許へ赴こうとして、沙雪に言われたことを思い出す。
(そうだわ、原稿の受け取りやお届け物は兎も角、まかないの仕事は時間もかかるし、沙雪さんから見てもあまり好ましくないかもしれない……)
ちょっと考えて、原田に意見を請うた。
「原田さん。ちょっとご相談なのですが、実は雪月先生、男一人で長屋に住んでらして、女中さんの一人もいらっしゃらなかったので、通える時に私がまかないで料理を作っていたんですが、先日雪月先生のご婚約者さまにくぎを刺されてしまって、今後の雪月先生の食生活を憂いているのですが、何か良い方策はありませんか?」
すると原田は目を丸くして、貴女、先生のまかないまでやっていたの、と驚いた。
「はい。最初にお会いした時にどうにも不健康そうな印象が否めなくて、差し出がましいとは思ったのですが、その時はまだ婦人部から移って間もなかったので、私が先生のお役に立てることなんてたかが知れていたので……。雪月先生は、ご執筆を始めるとお食事を忘れてしまうほど熱中されるので、頃合いを見計らって、私が出していました……。私が作りに行くまでは、食べるのを忘れていたとおっしゃって……」
事情を話すと原田はなるほどと納得してくれた。
「でも、ご婚約者さまがおいでなら、その方か、そのおうちの女中さんがされれば良いことではないの? お嫁入り前の鷹村さんが、独身の雪月先生の所へ通うのは体裁も良くないわ。貴女、仮にも子爵家のお嬢さまなのだから。全く、雪月先生は何故ご自分のご婚約者さまじゃなく、鷹村さんにやらせているのかしら……」
実家がどうこうというのはもはや華乃子には関係ないが、何故雪月から沙雪にひと言ないのかということは、言われてみれば成程そうだ。それに沙雪だって、自分が婚約者だというのなら、自分で手配して雪月を支えれば良いのだ。この前は自分のやましい気持ちを隠していたから下手に出てしまったが、沙雪にだって落ち度はあるではないか。
「一度、雪月先生にご事情を窺ってみた方が良いわね。ご結婚されるのだったら、鷹村さんが首を突っ込むと良くないわ」
「そうですね……」
雪月の意向と沙雪の希望がかみ合っていないと思われるが、家同士では決まった話なのだろうなと、沙雪の自信を目の当たりにした華乃子は思う。その沙雪を避けて、雪月は東京にいるのではないかと推測した。
しかし、結婚は家同士の約束事だ。そこに他人がずかずかと土足で踏み入れていい話ではないのである。