鬱々とした気持ちのまま雪月の許へ行くわけにはいかず、華乃子は花屋で白と紫の桔梗を買い、会社から持ってきた資料一式と共に雪月の許を訪れようとした。すると、遠目にも立ち姿の美しい女性が雪月の長屋から出てきたところを見た。
(どなただろう。ご家族だろうか。それとも……)
嫌な予感を振り切って華乃子が雪月の家を訪れようとすると、丁度華乃子に声を掛ける人が居た。
「あれ、あんた」
「あっ、ご無沙汰しております」
彼女は華乃子が雪月の賄いをするようになってしばらくした時に会ったことのある、雪月の近所のおばあさんだった。おばあさんはなにかいけないものを見たような目でちらっと雪月の長屋を見た後、華乃子に向かってこう言った。
「あの子、あんたという恋人が居ながら他の女を家にあげるなんて、とんだ遊び人だね。あんたもあの子にきっちり言ってやった方が良い」
「え……っ」
ではあの女性が、雪月の想う相手だったのだろうか。
失恋がいよいよ確実になってきて、華乃子は表情を暗くした。落ち込むんじゃないよ、とおばあさんが励ましてくれる。
「いえ……。私はあの方にはお仕事でお会いしているだけですので……」
「なんだって? まかないまでしてやってたから、てっきりあんたと恋仲だと思ってたよ」
そうだったらどんなに良かっただろう。でも現実に雪月はあの女性を家に招いていたのだから、仕事で通っている華乃子より、何倍も親しみ深いのだろう。
「そういう不誠実な男は早く忘れた方が良い。あんたも良い相手を見つけるんだよ」
おばあさんはそう言って華乃子を慰めてくれた。……失恋だと分かっているのに諦められないのはどうしてなんだろう。それが恋なのだと、しくりと痛む胸で華乃子は感じていた。