軽井沢から東京に戻った雪月は、あやかしが視えるモダンガールの執筆を引き続き続けていた。雪月の筆は順調に進んでおり、その隣で雪月を支えることが出来ることに、華乃子はささやかな幸せを感じていた。
太助と白飛とは相変わらずだ。東京に戻ったから、雪月の長屋通いが再開して、それについては良い顔をしない。嫁入り前の娘なのに、なのだそうだ。

「嫁入り前も何も。先生は私の事、そう言う風にご覧になってらっしゃらないわ」

あの時の言葉がもう一度あれば、それを信じられると思うが、東京に戻ってからそれっぽい雰囲気すらもない。きっと、華乃子が受け取り間違えたのだろう。だが、二人とも譲らない。あいつは駄目だというばかりだ。

「駄目だ駄目だってそればっかり。何がどう、駄目なのよ」
『あいつは華乃子を失望させる。だから駄目だって言ってるんだ』
「失望させる、ってなに? 先生は先生のお仕事を十分されているわ」

そう言うやり取りを何度もしている。彼らは雪月のことが頑なに認めようとしない。何が気に障るんだろと思う。

今日は会社で原稿のチェックをしていたら、雪月が文芸部を訪れた。会社で雪月と会うのは、実に配属になって以来のことである。

「華乃子さん」
「まあ、先生! わざわざおいで下さらなくても、仰って頂ければ伺いましたのに!」

思いもかけない場所で雪月と会ってしまい、動揺と興奮で声が大きくなってしまった。同僚たちにくすくすと笑われ、華乃子は自分のはしたなさにハッとする。

「す、すみません、大声で……」
「いえ……、僕も唐突にお伺いしてしまい、すみません」

ぺこりと頭を下げる雪月は何時ものシャツに着物の書生姿ではなく、見たこともないスーツ姿だった。この姿にも驚いてしまって、驚きが大きくなったと言ってもおかしくなかった。

「先生……、洋装をお持ちだったのですね……」
「はは……、着ないので持っていないも同然ですが、一応仕立てておりまして……」

パリっとしたスーツを着る雪月は居心地悪そうに笑った。確かに寛人のように着慣れている様子ではない。

「それで先生。お召しになられないスーツをお召しになって、どんなご用事でしたのですか?」
「はい。実は華乃子さんにお付き合いいただきたい場所がありまして」
「私に……、ですか?」
「はい。華乃子さんにしか(・・)、頼めないのです」

華乃子にしか頼めないこと……。なんだろう……。
思いもかけない訪問の次は思いもかけない頼みごとだった。真剣な雪月の表情に期待すまいと思ってもどきりとする。

「な、なんでしょう……。私でお役に立てると良いのですが……」

あやかしの体験談だったら雪月の家で話せばいいことだ。一体何だろうと思っていると、一緒に来て欲しい場所があるのです、と言って、雪月は華乃子を会社から連れ出した。