「華乃子さんがあやかしについてご自身の経験を話してくれたおかげで、僕の書くあやかしが世の人々に絵空事と思われているかもしれないことが分かってきました」

その日は雪月が華乃子を呼んだので、華乃子は雪月の部屋を訪れていた。昔、あやかしが視えたことで嫌な思いをしたという経験を話して以来、華乃子はあやかしとの体験談を雪月に話すようになっていた。主に、雪月が、自分の書く作品が読者に身近に感じてもらえているのか、といった疑問からだった。

「僕にとってあやかしは、古来の良き日本を想像させる、とても愛すべきキャラクターなのですが、目に見えないことを信じられないということは、空想の羽根さえも羽ばたかないということなのですね」

物書きとして、それは残念だ、と難しい顔をして雪月は言った。
確かに昔を顧みると、現代は道にはガス灯が灯り街が明るくなり、昔その暗闇に居たかもしれないあやかしを思うことはなくなった。線路に鉄道が走り、彼らを信じていた頃には思いもよらなかった機械が沢山働いて世の中を動かしている。人々は現実に追われ、その裏にある大いなる空想の世界へと思いを馳せる機会は減ったと思う。

「そんな今だからこそ、今を時めく職業婦人を題材に描く必然性があるのではないですか! 現在(いま)の象徴の職業婦人と、古き良き時代の象徴あやかしのお話! 雪月先生の次のお話は、きっと多くの人の心を掴むはずです。頑張ってください!」

ぐっと手を拳に握り、華乃子が力説すると、雪月は華乃子の励ましに照れたように笑った。この、照れたように笑う笑みが、雪月の魅力の一つだと思っている。人の好(よ)さが前面に出ていて、争いごとを起こさなさそうな、温厚な性格が表れている。人格って、表情に出るんだな、とまざまざと思ったのが、雪月の笑みなのだ。
そんな微笑みを自分に向けられて、華乃子も嬉しくなった。華乃子の言葉が雪月に届いているのだと感じられたからだ。

「頑張りたいですね……。華乃子さんのように、あやかしに係わって悲しい思いをされている女性を文学で救いたい。その一助となることが出来れば、私が今まであやかしを題材に書いてきた理由も分かるというものです」
「はい! その通りです、先生!」

自分の助言を受け入れた雪月の新作が大ヒットになればいい。華乃子は雪月に資料を提供することで彼の生業を支えることしか出来ない。今回自分の体験談が資料となっていることもあって、華乃子も力が入る。

「以前お約束したように、ヒロインを華乃子さんに見立てましょう。ヒロインの職場での様々な偏見や困難を乗り越える支えになったのが、ヒロインと縁の深いあやかし……。あやかしはきっとヒロインを幸せにしたいと思って行動を起こすのでしょう。その想いが、最後にはヒロインに通じて、二人は幸せになる。華乃子さんを物語の中で最高に幸せにして差し上げる為のシチュエーションも考えるとしましょう。このお話を読まれた華乃子さんが、今までの嫌な思いを少しでも忘れて幸せになってもらえたら嬉しいです」

にこりと微笑む雪月に、じんと心が痺れる。
雪月が大切にしている物語の中で自分を幸せにしようと考えてくれたことだけでも、とても嬉しい。
もしかすると、これ以上の贅沢はないのではないだろうか。

「そんな……。私はただ、先生に素敵な小説を書いていただきたいと思って、お話しただけですのに……」

喜びで声が震えないようにそう言うと、華乃子さんにはお世話になっていますから、と雪月が微笑んだ。

「編集というだけで、私の作品の為のお手伝いだけでなく、お食事までお世話になってしまって……。こんな不甲斐ない私を支えて下さっている華乃子さんに、何かお礼がしたいのです」

こんなことで、お礼になるかどうか分かりませんけれど、と雪月は照れ笑いした。

「とんでもないです! とても光栄です……。是非……、素敵なお話を拝読させてください……」

やはり雪月には謝意以外の何もないのだ。期待しすぎないように、手をぎゅっと握った。

「なにか、必要な資料や体験談がありましたら、仰ってください……。ご用意させて頂きます……」

華乃子の言葉に雪月は、ありがとうございます、と微笑んだだけだった。