「梅さんがおっしゃるには、今日街の真ん中で花火が見れるそうなんですよ。見に行きませんか?」
雪月は執筆がひと段落すると、隣の部屋に控えていた華乃子をそう誘った。
「盆終わりに御霊を花火でお送りするというのも、日本の美しい習慣ですね」
雪月が微笑むと、華乃子はどきどきと胸を高鳴らせながら、そうですね、と応じた。
失恋決定のほのかな想いでも、想う人と一緒に何か行動を共に出来ることは嬉しい。特に花火はその輝きだけでも浪漫であり、一人で見ていた時も、その色の輝きにぼうっと見とれていたものだ。
夜空に大きく輝き儚く散る花火。それは華乃子の淡い恋と同じだった。大きく輝くことは出来そうもないが、儚く散る運命は決まっている。雪月の傍で夜空を見上げたら、自分を重ねてしまいそうだな、と華乃子は思った。
雪月は執筆のいい箸休めだ、と言わんばかりに機嫌が良かった。軽井沢に来てからもしかしたらこれが初めての外出になるのではないだろうか。雪月は長屋暮らしの時と同じで、梅や華乃子が言わないと、食事も忘れて執筆している。文芸部で最初に会った時の病弱な印象は、不規則な食生活もあっただろうなと記憶を振り返った。あの頃の白い顔の雪月を思うと、華乃子が手料理を食べさせるようになってから、少し健康的になった気がする。
夕食を済ませると、留守を梅に頼み、華乃子は雪月と共に街の中心部に出かけた。
外国人の所有する別荘が多い中、中には別荘での仕事を終えて花火を見に来たと思しき下働きらしき人たちの姿もあった。
別荘を持つ外国人たちはどうか知らないが、日本人は花火が好きで、隅田川の花火大会のように盛大なものもある。死者の供養と厄災退散を願った花火は、近代文化のなかった時代に人々の大いなる希望の星であっただろうと思う。
「何処から上がるのか、聞いてきます。華乃子さんは其処に居てください」
雪月が楽しそうに運営の人に聞きに行くというので、華乃子は広場の周囲に植わっていた木の下で、幹に背を預けて立っていた。
夏とはいえ、やはり避暑地。東京の暑さを思うと格段に過ごしやすく、男の人もシャツの袖をまくっている人が半分くらいしか見当たらない。
華乃子も、夏のワンピースにレースのショールを羽織り、夜の冷えに備えていた。
がやがやと人のざわめきが心地よい。人々が集まってくる中、ぼうっと見るでもなく視線を前に向けていると、雑踏の中から此方の方へ来る背の高い金髪の男性が居た。
これから花火が始めるのに、何処かへ行こうとしているのだろうか? と思っていると、男性は華乃子の前に来て人懐っこい笑みを浮かべてこう言った。
「Hi, lady. If you want to see fireworks, why don't you see them with me?」
「え……っ?」
出版社に勤めているけど、華乃子は英語の読み書きも聞き取りや会話も出来ない。彼が何と言ったのか全く分からず、困って取り敢えずにこにこと微笑みを浮かべておいた。
すると彼は嬉しそうに、
「I'm glad. See, let's go to a place where you can see the fireworks」
と言って、華乃子の腕を引いた。
これには華乃子も驚いた。まるで誘拐ではないか。慌てて、ノー、ノー、とたどたどしく応じるが、金髪の男は手を放さない。これでは雪月が戻ってきた時に会えなくなってしまう。焦ってぐっと足を踏ん張り、連れていかれないように力を籠めて腕を引くと、不意に腕が解放された。