雪月の執筆活動はおおよそ順調だった。涼しい気候の中ですらすらと万年筆が原稿用紙の上を走っていて、時々休憩と言って華乃子がリビングに連れ出せば、一緒にお茶を楽しむこともあった。

「モダンガール、というご婦人の考え方は興味深いですね」

自分が語るモダンガールとは何ぞや、という話を、雪月が興味深く聞いているのを華乃子は嬉しく見ていた。生き生きと新しいことを吸収している雪月は、長屋で本に囲まれて暮らしているときと同じくらい目が輝いていた。

「先生は本当にものを知ることに貪欲でいらっしゃるわ。私が婦人部で得てきた知識なんて、もう全て話しきってしまいました」

華乃子の言葉に、雪月がいやいや、と謙遜する。

「華乃子さんのお話がなかったら、僕の生み出すキャラクターにも深みは増しませんでした。女性が職業を得るということは、成程独立心が芽生えるということなのですね。僕は家督を継ぐよう幼い頃から躾けられていましたから、ご自分で自由に仕事を選んで働いて人生を切り開いている華乃子さんを尊敬しているのですよ。僕は今も家に縛られていますから、小説家をするのだって、東京で配偶者を探すという面目がなければ家を出ることは叶いませんでした。華乃子さんはおうちに縛られずに生きておられて、素晴らしいです」

そんな風に華乃子の生き方を肯定し、褒めてくれる雪月は、やさしいと思う。一方で、雪月がゆくゆくは妻を娶り、家に帰るのだと知る。

「……厳格なおうちなのですね……」

華乃子が少し残念な気持ちで言うと、そうですね、と雪月が言う。

「血を繋ぐということを、とても大事にします。なので、両親一族を説得するには、それなりのお嬢さまでないと納得してくれないでしょう」

空想のまま自由奔放に小説を書いているのかと思ったら、そうでもなかった。雪月が家の為に選ぶ娘というのはどんな娘なのだろう。鷹村で疎まれ、鷹村を出た華乃子は、確実にその選択肢に入らないんだろうなと思ったら、悲しくなった。

(……っ、な、何故、雪月先生のお嫁に選ばれないと悲しいだなんて思うのかしら……。雪月先生と私は、作家と編集者という関係なだけであって、決して個人的な関係ではないのに……)

華乃子はふるふるとかぶりを振った。自分は、子爵家にも居られない、あやかしが視える目を持っている。それだけでも、雪月の実家が納得する条件を満たさないと分かる。華乃子は心の中に芽生え始めていた雪月に対するほのかな想いの火を消し去ろうと必死になった。

「それでも、僕は心で決めた人と結ばれたい。自分の気持ちが全て向かうお嬢さんを、家に認めさせると決めているのです」

いつも気弱な笑みを浮かべている雪月が、強い眼差しで前を……華乃子の方を見た。……厳格な家に育ったからこそ、心から想った人と結ばれることを雪月が願っていると知る。雪月の決意に心砕かれるような気持ちになって、華乃子は弱く微笑んだ。

「……素敵な女性が現れると良いですね……」

華乃子が何とかそう言うと、雪月は穏やかに微笑んで、ありがとうございます、と言った。そのやり取りだけで、自分が雪月の選ぶ女性ではないと分かる。これ以上雪月に心を傾けては駄目だ。そう思うのに、想う女性を語る真剣なまなざしの雪月を見て、とてもそう出来そうにないと、心の底で思う。

(……私はいつの間にこんなに雪月先生のことを……)

もう実らない想いを抱えて華乃子は俯いた……。