時は大正。東京では路面電車が当たり前になった頃、人々の在りようもまた変わって来た。一方で既得権益に則り富を有する者がいる他方では女性の社会進出が活発になり、街に活気が溢れだしてきた。
子爵、鷹村邸。

「華乃子(かのこ)! またお前は変なものを相手にしていただろう!」

パシンと父・一夜(いちや)が華乃子を叩(はた)く。華乃子には父が自分を叩く理由は分かっていたけど、原因は分からなかった。

「あやかしと慣れ合うのは止めなさいとあれほど言っただろう! どうして人間なのにあやかしと関わるんだ!」
「お父さま、華乃子はお腹が空いたと言ったあの子に、おにぎりをあげただけです。あの子もありがとうと言ってくれたし、何も悪いことはしていません……」

叩かれた頬を小さな手で覆い、華乃子は震える声で父に言った。
学校からの帰り道、祠の隣でおなかをすかせた少年が立っているのに出会った。華乃子はその子にはなゑに握ってもらったおにぎりを二つ、持って行ってあげただけだ。

「それが人間には見えない、あやかしだったんだ! どうしてお前はあやかしなんかに慈悲を掛けるんだ!」
「だって、お父さま。あの子が、お腹が空いたと言ったから……」
「良いか、華乃子。お前の口からあやかしの話は聞きたくない。この前は河童、その前は狐。金輪際あやかしと関わらないと誓うまで、華乃子を蔵に閉じ込めておけ!」

鷹村の持つ蔵はどれも大きくて立派だが、その分埃っぽく、冬は底冷えする。華乃子はその蔵に閉じ込められて、しくしくと泣いた。

「お父さま、ごめんなさい。もうしませんから此処から出して……。お願い……」

どんどんと扉を叩いても、母屋には聞こえない。華乃子は三日三晩、その蔵に閉じ込められていた。母屋では華乃子と血のつながらない弟妹が、継母の愛情を一身に受けていた。

「お前たちは華乃子の真似をしないでね。あれは出来損ないの人間。友達が出来ないのも当然だわ。わたくし、あの娘の母親だと言うだけで、近所の人に奇異の目で見られるのよ。悲しいわ。いっそのことあの子を別宅に移したらどうかしら。そうしたら近所の目も収まるでしょうし、わたくしたちも不快な思いをしなくて済むわ」

継母の案に、一夜は二つ返事で賛同した。

「では、はなゑだけつけて華乃子を引っ越しさせよう。ところでお前、また新しくドレスを買ったのか? 請求が来ていたが、頻繁過ぎやしないか」

一夜の渋い顔に継母は当然、といった表情をした。

「あら、わたくし、子爵夫人ですもの。身なりはきちんとしておきませんと。あなたも新調なさいますか?」
「要らん。この前新調したばかりだ。お前は私の受け継いだ財産を何だと思っている」
「華族なんですもの、使うべきところには使わなければ。貧乏くさいことを仰らないで」

そう言って息子と娘を連れて、継母は部屋を出て行った。後に残された一夜は、その後ろ姿を黙ったまま見つめていた。