「噂には聞いていたけど、貴女本当に副社長と仲が良いのね」

振り向くと目じりを吊り上げた藤本が書類を持ってこちらに歩いて来ていた。華乃子は、ええまあ、としか答えることが出来ず、藤本は華乃子に並ぶとこう言った。

「その関係は、単なる友情?」

……藤本は何を聞きたいのだろう。それが分からなくて、華乃子は返答に困った。藤本が話し掛けてくる直前まで、華乃子は藤本に負けた、という感情でいっぱいだった。企画そのものも、華乃子が負っていた鷹村の威光のことも。その彼女から訳の分からない質問をされて、咄嗟に答えを考えられなかったのだ。それを藤本は『ノー』だと理解する。

「私は、貴女に負けないわ。仕事も、恋も」

恋? 何の事だろう。さっきの質問より、更に訳が分からない。今度こそ本当に答えに窮した。

「貴女が副社長から受けてる援助だって、社長と副社長が古くからの付き合いの、貴女のおうちの窮状を見て見ぬ振りできなかっただけの、単なる親切だわ。貴女はそこを理解すべきだわ」

真実ではなかったけど、表向きにはそれでも良いと思った。鷹村家の懐が苦しいから、長女の華乃子が働きに出ている。それでいい。華乃子があやかしを視れる目を持っているから家でないがしろにされたところへ寛人が親切にしてくれた、なんて本当のことは知られなくていい。

「そうですね、その通りだと思います」

しかし、やっと導き出した華乃子の返事は、藤本を怒らせた。

「そうやって清楚ぶるの!? 会社の誰もが知っていることよ? そうやって副社長の同情を買って、九頭宮さんの家の甘い汁を吸っていることなんて。どうせ自分の家の爵位でもちらつかせたんでしょう。隠したって無駄。皆知ってることなんだから」

ハッとした。華乃子の負っている鷹村という名前は、市井に紛れるにしては大きすぎるのだ。

「ち、ちが……」
「良いわよ、色仕掛けでもなんでもしたら? 私は負けないんだから。なんの力にも頼らずに貴女より実績を出して、副社長の覚えも良くなって、何時か社長夫人に上り詰める。その時、貴女はこの会社に居ないわね。惨めに街を走って去るが良いわ」

キッと華乃子を睨みつけた藤本は野望に満ちた目をしていた。華乃子にとってどれだけ企画が通るかは、どれだけの人にモダンガールの良さを届けられたかであり、人と競うためのものではなかった。勿論寛人とどうこうなろうなどと考えたこともなく、彼は古くから華乃子の事情を知っていてやさしくしてくれる、頼れる兄のようなものだ。会社に居続けるか退社するかは、誰かに決められることではなく自分で決めるものだと信じている。藤本の言うことを華乃子は理解できず、でも、彼女にとって自分が邪魔なのだろう、ということはなんとなく察した。

「あ、あの、藤本さん……」
「貴女と慣れ合うつもりはないの。ごめんなさい」

ふん、と藤本が顔を背ける。彼女はそのまま廊下を歩いて行ってしまった。今のやり取りを通りすがりに聞いていた社員たちからの線が痛い。ひそひそとささやかれる声は、華乃子を罵る言葉ばかりだった。

「華族様のお遊びで仕事が出来るんだったら、世の中そんなに楽なことはないわよね」
「なよなよ泣いて副社長の同情を買ったんでしょう? みっともないったら」

妬み、やっかみ。
華乃子の持つ家の力や、寛人が持つ会社の力。その力を求めていることを自分で知りたくなくて悪口を言う人々。藤本のようにはっきりと認めて、すがすがしいまでに求める人。華乃子は何方にもなりたくないと思った。
ただ、『華乃子』という一人の『私』を受け入れてもらいたい。それだけだった。
そこに力は要らない。
それだけだった……。