男子という生き物は、年頃の女子からしたら、随分と子供らしい。僕は男子ながら、その事実に気づいていた。そして、気になる女子に対しては、いかに“子供っぽさ”を出さないかが、勝敗を決める。何の勝敗かと聞かれればそう、恋愛の勝敗だ。

「はい、板倉」

 僕のところに、"それ"が回ってきたのは、二日後の金曜日。5限目と6限目の間の十分休みのことだった。

「なんだ、これ」

 それは、一枚の紙。一瞬、先日岡田さんが拾ってくれた小テストが頭をかすめた。

「見たら分かるだろ」

 持ってきたのは、僕の後ろの席の男子生徒、宮沢健一(みやざわけんいち)だ。

「見たらって……」

 言われた通り、彼から渡された紙をひっくり返してみる。
 あ。

「出席簿?」

 五十音順に並んだクラスメイトの名前。ただし、女子の名前しかない。しかも、よく見たら、いやよく見なくても手書きだ。一目でクラスの誰かが作ったものだと分かった。

「違うって。ランキング」

「ランキング?」

 まったく説明足らずな宮沢の言葉に、僕はちょっといらいらしてきた。人に何かを頼みたいなら、もっと分かりやすく簡潔に言って欲しい。

「だーかーらー、女子のランキングだよ。うちのクラスの。かわいい女子ランキング」

「かわいい女子ランキング」

 何かの本に書いてあった。返答に困った際には、相手が言った言葉をそのまま返しなさいと。オウム返し作戦だ。
「そう。クラスの女子の中で、かわいいと思う人に票を入れて回してくれ。もちろん、男子だけだぞ。一人3票まである」

 それだけ言うと、宮沢はクールダウンして自分の席についた。もう説明はしないという態度だ。もともとそんなに仲が良いわけでもないので、僕もこれ以上何か返す気にもなれなかった。

「くだらねえなあ」

 と思ったものの、実際に口に出したりはしない。学校社会において誰かを敵に回すような発言はNGだ。
 隠しきれないため息をつきつつ、周りを見回す。特に、自分のことを見ているような輩はいない。
 ならばあまり神経質にならずに、適当に投票すれば良いだけだと、シャーペンを持ち女子だけの名簿に「正」の線を入れた。
 一つは安藤さんに、もう一つは畑中さんに、最後は足立さんに。
 適当に、と思った割りにしっかりと片想いをしている相手に票を入れてしまうのだから、僕も他の男子にあれこれ言えやしない。
 正の字を書いたとたん、急に教室の中がざわざわと音を立て始めた。いや、むしろ投票している際に、とんでもなく集中して周りが見えなくなっていたせいかもしれない。ペンを置くと、右掌がじゅっと汗ばんでいた。
 何か大罪でも犯してしまったかのように、心臓が激しく音を立てていた。こんなことは、大したことではない。男子の中で流行っている遊び。きっと他のクラスの連中だって同じようなことをしているに違いないのだ。それに、持ちかけてきたのは宮沢であって、僕ではない。
 僕は悪くない、と自分に言い聞かせながらも視線を感じてさっと後ろを振り返る。
 一番後ろの席で、岡田さんと一瞬目が合ったような気がしたけれど、多分気のせい。
 彼女は休み時間の大半、頬杖をついて窓の外を見ているだけなのだから。

「ねえ、見た?」

 放課後、僕の左斜め後ろに座る畑中さんが、さらに彼女の後ろに座っている安藤さんに声をかけているのがたまたま聞こえてきて、鞄に荷物を詰めていた僕の手を止めた。

「え、何を?」

「ほら、あの男子が回してた紙」

「紙? 何それ」

「和咲、気づいてなかったの?」

「うん」

 じゃあ、仕方ないな。教えてあげる。
 畑中さんは、男共の重大な秘密を知って、それを友人に打ち明けるのが楽しみだというふうに、いたずらっ子の声色をしていた。
 僕は、先日の昼休みと同じように、全然聞いていないフリをして彼女たちの会話を必死に追いかける。

「可愛い女子ランキング」

「かわいいじょし、らんきんぐ」

 異国の言葉でも聞いたかのように、安藤さんが反復する。素直な彼女のことだ。この世にそんな不埒なランキングが存在しているなんて、夢にも思っていないのだろう。

「そう。男子が可愛いと思ううちのクラスの女子に、投票してるみたいなの」

「そうなの? それってなんだかすごく、失礼じゃない」

「まったくその通りよ。本当、くだらないよね」

「ええ。でもまあ、男の子ってそういう生き物なのかな」

 透き通るような彼女の声が、本来なら僕の心を熱くするはずなのに、この時ばかりは細い針で突かれたみたいにチクリとした。
 安藤さんの言う“男の子”というのが、男という生き物、というよりも誰か特定の人物のような気がしてならなかった。

「どうしたの、和咲」

「ううん、ちょっと気になっただけ」

「ランキングのこと?」

「ええ。怖いもの見たさっていうのかな」

 安藤さんがランキングの結果を気にしているというのは、心底意外だった。ああいう清楚系で優等生タイプの子は、男子のちょっとした遊びなどには気にも留めないと思っていたからだ。
 僕はようやく教科書や筆箱を鞄に詰め終わり、紐を肩にかけた。これから陸上部の練習がある。あまり遅くなれば大会前でピリピリしている先輩たちの神経を刺激しかねない。
 振り返って、彼女たちの方を見た。畑中さんは帰り自宅を始めていた。安藤さんの横顔が、美しい曲線を描く。彼女の目が、廊下側の一番後ろの席に向いているのを僕は見逃さなかった。
 その席が、親友の矢部浩人の席であることが、僕の胸をいくらか締め付けていた。


 幻想だ。僕の。悪い冗談で妄想で、簡単に真実だなんて思っちゃあいけない。
 準備体操をしながら、筋トレをしながら、短距離を走りながら、頭の中に思い浮かぶのは、彼女の横顔だけだった。
 聞かなくても分かる。あの顔は間違いなく、恋をしている顔。
 ずっと気になってはいた。自分が好きだと思う人の好きな人。だって知りたいと思うだろう。でも同時に、知りたくない気持ちもあった。

「くっ……」

 短距離走。
 いつもこのレースの最中は頭の中を空っぽにする。腱が伸びるのを感じながら、地面を蹴る感触に浸りながら、一番速くゴールまでたどり着ける方法を探していた。必死に走り抜ける以外にとるべき手段はないのだけれど。あとは、なるべく邪念を捨てることくらいだ。
 目標だけを見据えて、僕は走る。
 僕が手を伸ばして掴みたい君は、親友に恋をしている。