「蓮くん、たくさん練習してるみたいね」
「そりゃ、楽しんでますから」

蓮くんがピアノを弾けるようになったと実感することが、私をどれだけ慰めることになったか、彼は知らないだろう。
就職活動ではまともな企業に就職ができず、コールセンターのアルバイトでも失敗ばかりだった私に、できる仕事があると思い知らせてくれる。
もちろん彼には、そこまでの自覚はないのだろうけれど。

「蓮くんは、どうしてピアノを始めようと思ったの?」
ある時、私は今まで気になっていたことを彼に聞いてみた。
大人になってからピアノを始めようと思う人って、大抵はなにか外部からの働きかけやきっかけがあると思ったのだ。

「うーん。なんとなく、ですかね」
「なんとなく?」
「はい。周りで音楽やってる人が多くて。ピアノなら、コスパよく始められるかなって」

彼の言う「コスパ」というのはつまり、ピアノなら練習のための貸しスタジオも多いし、先生も他の楽器に比べたらすぐに見つけられるということだろう。
電子ピアノなら手が届かない金額でもない。

「そういうことね」
「はい。がっかりしました?」
「いや、全然。むしろ、ピアノを始めてくれてありがとう」

なんでも良かった。
彼にピアノを教えるきっかけになったものが、何であっても。
私のところに習いにきてくれたきっかけが、何であっても。

彼が私のもとに、ピアノを習いに来てくれたおかげで、私は少しずつ、自分を肯定できるようになっているのだから。