「ピアノの教室を始めようかなと思って」
コールセンターを辞めた日の晩、母親に電話をした。母は、私が大学進学で上京してからずっと、私の身の上を心配している。その家庭でもそうだが、どうやらうちの母親は、過剰なほど心配性らしい。「女の子一人で東京なんて……」と、上京する前から不安そうな顔をしていた。私が「大丈夫だって」と母を励ます始末に。
父は「一人暮らしでもなんでも、若いうちに経験しておいたほうがいい」と堅実な意見で私を送り出してくれた。
けれど本当に不安だったのはいうまでもなく私自身。
電車と新幹線を乗り継いでようやく「東京」の駅に降り立ったとき、想像以上の人の多さに圧倒された。
駅構内を進んでいくと、ざっざっという人の足音が途切れない。
誰かの肩にぶつかってよろめくこともあった。
「あ、すみません」と一言謝ってくれる人はまだいい方で、ひどい時は向こうからぶつかってきたにもかかわらず「ちゃんと前見てよ」と逆ギレされることもあった。
そういう人は大抵、私の目なんか全く見ずに、自分の足下しか見えていないんだ。
なんとか平静を装い、「ごめんなさい」と告げる。それで解放されるならもうそれで良いと思った。
『ピアノの先生? いいじゃない。家でできるし』
「でしょ。ピアノなら教えられるかなって」
『そうねえ。雪ちゃん、小さい頃からピアノばっかりだったものね』
「うん。こっちきてからもずっと弾いてるよ。ピアノがないとやってけない」
コールセンターを辞め、ピアノ教室を始めたいという意思を、母はとても喜んでくれた。母にしてみたら、少しでも私を東京の街に繰り出してほしくないのだろうと思う。
もうこっちに来て六年目なのに、まだまだ母の心配は消えないようだ。
私がもうちょっとしっかり者だったら、こんなに心配されることもないのだろうか。
そう思い悩む日もあるけれど、うじうじ考えたって仕方がない。
母という生き物は、母というだけで、娘を心配したくなるものだ。
しかし今回の一件で、ようやく母を少しだけ安心させることができるなら何より。
24歳。
履歴書はもう、書かなくていい。
部屋の隅に鎮座するアップライトピアノに「よろしくね」と心で挨拶した。
コールセンターを辞めた日の晩、母親に電話をした。母は、私が大学進学で上京してからずっと、私の身の上を心配している。その家庭でもそうだが、どうやらうちの母親は、過剰なほど心配性らしい。「女の子一人で東京なんて……」と、上京する前から不安そうな顔をしていた。私が「大丈夫だって」と母を励ます始末に。
父は「一人暮らしでもなんでも、若いうちに経験しておいたほうがいい」と堅実な意見で私を送り出してくれた。
けれど本当に不安だったのはいうまでもなく私自身。
電車と新幹線を乗り継いでようやく「東京」の駅に降り立ったとき、想像以上の人の多さに圧倒された。
駅構内を進んでいくと、ざっざっという人の足音が途切れない。
誰かの肩にぶつかってよろめくこともあった。
「あ、すみません」と一言謝ってくれる人はまだいい方で、ひどい時は向こうからぶつかってきたにもかかわらず「ちゃんと前見てよ」と逆ギレされることもあった。
そういう人は大抵、私の目なんか全く見ずに、自分の足下しか見えていないんだ。
なんとか平静を装い、「ごめんなさい」と告げる。それで解放されるならもうそれで良いと思った。
『ピアノの先生? いいじゃない。家でできるし』
「でしょ。ピアノなら教えられるかなって」
『そうねえ。雪ちゃん、小さい頃からピアノばっかりだったものね』
「うん。こっちきてからもずっと弾いてるよ。ピアノがないとやってけない」
コールセンターを辞め、ピアノ教室を始めたいという意思を、母はとても喜んでくれた。母にしてみたら、少しでも私を東京の街に繰り出してほしくないのだろうと思う。
もうこっちに来て六年目なのに、まだまだ母の心配は消えないようだ。
私がもうちょっとしっかり者だったら、こんなに心配されることもないのだろうか。
そう思い悩む日もあるけれど、うじうじ考えたって仕方がない。
母という生き物は、母というだけで、娘を心配したくなるものだ。
しかし今回の一件で、ようやく母を少しだけ安心させることができるなら何より。
24歳。
履歴書はもう、書かなくていい。
部屋の隅に鎮座するアップライトピアノに「よろしくね」と心で挨拶した。