「あれ、ごめんね……。ちょっと立ち眩みがしただけだと思ったら」
 俺はすぐに脳に意識を集中させて、母親の心情を読み取り状況を理解しようとした。
 すると、ここ最近は離婚準備で疲弊しきっていたこと、会社の引継ぎで揉め事があったこと、お家騒動のようなことが現状起こってしまっていること、それらすべてをひとりで背負おうとしていたことが分かった。
 ここ最近は、なるべく両親と顔を合わせないように時間をずらして過ごしていたから、母親がここまで追いつめられていることに気づけなかった。
 俺は母親の手のひらに布を当てて、静かにソファーに座らせる。
 いつも綺麗に染めていた髪にはいくつか白髪が混じり、痩せて鎖骨は浮き出ていた。
 顔を見ることが怖くていつも目を背けていたから、こんなになるまで気づくことかできなかった自分に、ゾッとする。
「ごめんね、もう少ししたらお家のことも落ち着くから……」
「いいから、そんなこと。水飲んで。今タクシー呼んでくるから」
 母がいつも通っている、親族が経営する病院に連れて行こう。
 俺は近くに会った固定電話でタクシーを呼ぶと、母親にぎゅっと服の端を握られた。
「陸上のことや大学のこと、ごめんね……。母さんだけの力じゃ、どうにもできなくて……」
「しゃべるなって。体力奪われるから」
 急にそんなことを謝られるだなんて、思ってもいなかった。
 母親からは、今抱えている問題へのストレスと、俺への罪悪感でいっぱいいっぱいになっている気持ちが、ひしひし伝わってくる。そして、母親を苦しめているのはどちらも自分が原因だということに気づいた。
 俺がこんな力を持っていなければ父親は離婚しなかった訳だし、そうすれば会社経営による母親への負担もかかることはなかった。
 今まで一度も社会に出たことがなかった母親が、その負担に耐えうるわけがない。
 そんなやつれた母親の姿を見て、俺はふと柚葵と重ねてしまった。
 もしもの話だけど、自分が柚葵と一緒にいる未来を選べたとしたら……いつか柚葵は母親のようになってしまうのだろうか。
 能力のせいで俺を見放したら、どれだけ俺が傷つくかを想像できてしまうから、離れられないだけ、という状況になってしまうのだろうか。
 すべて俺の妄想上で、勝手に未来の柚葵と今の母親が重なっていく。