■透明人間 side成瀬慧

 四月上旬。その日、俺は何もかもすべてどうでもよくなっていた。
 その原因は、“人の心が読める”という、持って生まれた奇妙な能力のせいだった。
 物心ついた頃から発症したこの奇妙な能力は、今は亡き曽祖父譲りだと言う。母親自身も、そんな能力がこの世に存在することを最初は信じ難いと思っていたが、思い起こせば自分の祖父は著名な水彩画家なのに、家ではなぜかずっと「心読み」と、化け物扱いされて過ごしていたことを思い出したらしい。
 その曾祖父の築いた財産をもとに商売を始めた恩があるというのに、一族は曾祖父を特別扱いするふりをして遠ざけていたとか……。
 まさかそんな奇病が、自分の息子にも発症してしまうなんて。
 何度も“思い込みだ”と言い聞かせたけれど、次々に心の内でしか思っていないことを言い当てる俺を見て、両親は絶望した。
 幼いころは、他の人間も自分と同じように心の声が聞こえていると思っていたから、人の心を読むことへの罪悪感も無かったのだ。
 年を重ねるにつれ、両親に『その能力は異常だから、絶対に外で人の心を読みあげたりするな』と言われた。『目立たずに生きていけ』とも。
 そんな風に言われる理由は、すぐに分かった。普通の人間は人の感情なんか読めないし、読めないからこそ人は一緒にいられるのだ。
 そんな当たり前の関係性を壊してしまえる自分は――、どう考えても“異質”。
 両親は次第に、俺に感情を読まれることを恐れ、家の中でも極力距離を置くようになった。
 しかし、汚い感情も醜い感情もすべて聞こえてしまうこの世界で、唯一頭の中を真っ白にできる瞬間があった。
 それが、走っている時だった。
 走っている時だけは、自分の吐息と、鼓動だけが聞こえてくる。隣で走る選手の声が聞こえないくらい距離を離して、もっともっと速く進め――。
 そんな風に思って走っていると、ぐんぐん成績は伸び、高校一年生でインターハイ優勝という結果を残すところまできた。
 一年生が大会記録を更新して優勝した、ということで世間は騒ぎ、何度かインタビューをされた。
 両親には「おめでとう」と言われたが、本心ではそのことを快く思っていないことも、十分に分かっていた。
 『インターハイ優勝なんて目立つことをして……。もしあの子の奇病がバレたらどうなるの』
 『はやく辞めさせなくては……』