『おかしくないよ。私の気持ちが読めてしまうのに、それでも自分の本当の気持ちを教えてくれるのは、ありがとう、だよ』
 そう言いながら、志倉は頭の中で過去の映像を思い出しているようだった。
 俺が、岸野明人という偽名を名乗って、汚い言葉を吐き捨てたあの日のことを、彼女はきっと一生忘れないだろう。
 そして、岸野明人の映像と、今の“俺”が、彼女の瞳の中で重なっていくのを感じる。
 思わず過去から逃げ出したくなったその瞬間、志倉は俺の手をぎゅっと握りしめてきた。
『心が読めちゃうのって、どれほど怖いことなんだろう』
 ぽつりとつぶやかれた言葉に、なぜか胸が締め付けられる。
 そんなこと、両親にも一度も言われたことがなかった。“俺側”の気持ちを想像することなんて。
『私は、この先も小学生の時の記憶は引きずって生きていくかもしれない』
「……ああ」
『でも、それでも、一緒にいてほしい。心の傷を塞いでくれるような人がいるなら、それは、成瀬君がいい。私といることが怖くても、目を背けないでほしい……』
「なんで、そこまで……」
『私が過去を乗り越えられる日を、ちゃんと見届けてほしい。そしたら、成瀬君も、自分自身をもう許してあげて』
 彼女が俺の手を握りしめる手に、どんどん力が入っていく。
 その手が少し震えているのを見て、俺はもうどうしようもないほど泣きたくなってしまった。
 これ以上ない言葉を、必死で伝えてくれた君に、俺は何が返せるだろう。
 こんな俺に、自分のことを許す道しるべを与えてくれたというのか。どうしてだ。どうしてそこまで、俺と向き合ってくれるんだ。
 夕日が彼女の細く長い髪を照らし、金の糸のように輝かせている。秋の少しだけ肌寒い風が吹くたびに、その糸は揺れ、カーテンは波打つ。
 怖くても、逃げないでほしいと、君は言ってくれた。
 その言葉に、俺は甘えてもいいのだろうか。
 その揺れる瞳に、自分の姿を映してもいいのだろうか。
 神様が今この光景を見ていたら、なんて言うのだろう。教えてほしい。俺がバカなことをする前に。
「柚葵……」
 俺の手を握ったままの彼女の手ごと、自分の顔に近づけた。
 それから俺は、俯いていた顔をあげて、彼女の手の温かさを頬で感じ取り、もう一度名前を読んでみる。
「柚葵」
『あ、あの、手が……』
「柚葵と一緒にいられる方法を、探してみる」