――怖い。今まで何も恐れていなかったことが、途端に恐ろしくなってしまった。
 相手にどう思われているかを知ることは、こんなにも勇気がいることだっただろうか。
 さっきの南の苦しそうな顔が思い浮かんで、俺は美術室のドアに手をかけたまま、開けることができない。
 そう思っていると、かすかに誰かの心の声が聞こえてきた。
『会いたい』
『会って早く、気持ちを伝えたい』
『気恥ずかしくて朝は避けてしまったことを、謝りたい』
 ふわんふわんとシャボン玉のように浮かんでくる感情たち。
 それを聞いたら、強張っていた体の力が徐々に抜けていった。
 そして、気づいたら手が勝手にドアを開けていた。
「志倉」
 名前を呼ぶと、イーゼルの前で悶々としていた彼女がパッと顔を明るくさせて、こっちを向く。それだけで、胸の端っこがくすぐられたように、むず痒くなる。
 しかし、窓を開けていたのか、丁度強い風が吹いてカーテンが大きく膨らみ、彼女の姿を覆い隠してしまった。
 急に視界を遮られた彼女は、猫のようにカーテンの中で藻搔いている。俺はそっと彼女の近くに寄り、カーテンの中に入り込んだ。
『うわっ……、びっくりした……』
「朝はよくも無視をしてくれたな」
 クリーム色のカーテンに包まれながら、俺は志倉のことを上から見下ろす。
 俺の冗談めいた言葉を真に受けた彼女は、焦ったように心の中に言葉を並べる。
『なんだかちょっと気恥ずかしくて……ごめんなさい! 避けました』
「冗談だって。北海道、寒かった?」
『あ、全然、むしろ丁度いい気候で……』
「なんでこっち見ないの?」
『だってなんか、二人きりみたいで』
 最初から二人きりではあるが、カーテンで隔てているせいで、余計に閉塞感を抱いたのだろうか。
 一度も目が合わないことに、妙に腹が立つ。
 でも、久々に見た彼女に、愛しい気持ちがすぐに溢れだして、苦しくなった。
 志倉の感情も一緒になって聞こえてくるので、心臓が騒がしい。この鼓動が自分のものなのか、志倉のものなのか、分からなくなるほどに。
 暫く見つめ合っていると、彼女はずっと聞きたがっていたことがあるようで、それを心の中で問いかけて来た。
『あの、芳賀義春先生は、成瀬君のひぃおじいちゃんなの……?』
「ああ、そのことか……。誰かから聞いた?」