■こんな感情知らない side志倉柚葵

 夏休みが明け、教室で成瀬君と顔をあわせることが、なぜか少し気恥ずかしかった。
 HRが始まる前に騒いでいる生徒の間をぬって進み、なんとか自分の席につく。
 成瀬君が教室に入ってきたことに気づいたけれど、私はパッと視線をそらしてしまった。
 抱きしめられた時の感覚が、今もまだ抜けないなんて、絶対に知られたくない。
 生徒の雑音が、どうか私の心の声を搔き消してくれますように。そう心の中で願う。
 あの日の、『俺の能力が怖くないわけ?』という、成瀬君の弱々しい問いかけに、鼓膜から私の心臓まで振動が伝わって、胸の中が苦しくなった。
 私はあの時、使命に駆られるかのように、彼のために何かをしたいと思ったんだ。
 だから、がらにもなく、自分が心に留めていた言葉を、彼に贈ってしまった。
 どう思っただろう。何も分からないくせいにと思われただろうか。
 でも、ずっと自分に十字架をたてているような苦しい表情を見て、何かしたいと思わずにはいられなかったんだ。
 私は、成瀬君にとって、いったいどんな存在になりたいと思っているんだ。
 振り返ってみると、自分の行動がとてもおこがましく感じて、恥ずかしさでいっぱいになった。
 私は……、成瀬君のことが知りたい。もっと、近づきたいと思ってしまっている。
 彼の弱さに触れた、あの時から、ずっと。

「おーい、皆席につけー」
 唐突に大きな低い声が教室に響き渡り、ハッとする。
 ぎりぎりの時間帯に教師が教室に入ってきて、着席を促した。
 何やらプリントを持っているけれど、そういえば、夏休み明け早々に進路調査についての説明をすると、一学期の終わりに言っていた気がする。
「夏休みが終わって、そろそろ進路調査の時期がやってきた。ひとまず今日希望の進路をなんでもいいから書いて提出するように」
 ざっくりとした説明に、生徒はだるそうに「はーい」と返事をする。 
 前の席から調査票の紙が配られ、まだ真っ白な紙に、静かにペンを立てた。
 第一希望は、ブレずに、北海道にある美術大学。第二希望以下は、とくにイメージがわかないので、もっと自分に合いそうな大学があるかこれから調べるつもりだ。
 適当な美大の名前を書いて項目を埋めると、私はペンを机に置いた。