「大学は、この中から選びなさい」
「は……?」
 高級そうなグレーのスーツに身を包み、白髪をきれいにまとめている父親が、冷たい瞳で俺のことを見下ろしている。
 久々に父親の顔をこんなにじっくり見た気がするが、記憶していた顔よりずっと老けて感じた。
 父親の顔を数秒見てから、ゆっくりとテーブルに散らばったパンフレットに視線をずらすと、そこには東北や北海道にある大学のパンフレットが置かれていた。
「進学と同時に家を出てもらう。そこからはもう自分で人生を決めなさい」
 進学のことは、特に自分ではなにも考えていなかったけれど、適当に都内の大学を受けるつもりでいた。父親にうるさく学歴を求められると思っていたから。
 家を出ることは自らも望んでいたけれど、まさか関東県外の場所を指定されるとは。
 一瞬動揺したけれど、父親の感情を読み取ると、気持ちが一気に落ち着いていった。
『慧とは一刻も早く離れるべきだ。俺たちはもう十分頑張った』
 ……そういうことか。
 自分の生活圏内に俺がいるだけでも、自分の立場にリスクがあることからは避けたいということか。
「学費も家賃も負担する。これからは全部自分で選択していきなさい。お前もそのほうが楽だろう」
 たしかに、楽になりたいのは、お互い様だ。
 俺は何も言わずに立ち上がると、「はい」と低い声でひとこと返事をした。
 母親は、そんな俺たちの会話を遠くから、ハラハラした様子で黙って見つめている。
 自分のことしか考えていない父親のことはとっくに軽蔑しているが、いつも安全地帯から眺めているだけの母親にも、心底腹が立つ。
 俺は荷物をまとめて二階へあがると、自分の部屋ではなく亡き曽祖父の部屋に入った。
 なぜかこの部屋に入ると、心が落ち着いて、冷静になれるのだ。
「はあ……」
 怒りを鎮めるように息を大きく吐く。
 今まで、小学、中学、高校とすべてばらばらの地域で過ごしてきた。片道二時間かかる学校もあった。
 それもすべて、両親が俺の能力に怯え、周りの人に俺の記憶を強く残さないためだった。
 透明人間のように生きろ。それが父親の口癖だ。
「埃くさいな……」
 お手伝いさんにも、この部屋の掃除は頼んでいないらしい。
 偉大な画家であった曾祖父……芳賀義春の部屋が、こんなに埃まみれであることを知ったら、ファンはいったい俺たち一家をどう思うのだろう。