というのも、数か月前まで私たち家族は父の仕事の都合でアメリカで過ごしていて、日本にある本社に戻ってきたばかり。英語の面接がある学校だけ受けてみたら、という父の会社の人の提案で、記念がてら受けた有名学校が受かってしまったのだ。
合格を祖父と祖母が大げさに喜んでいたことと、学校の設備がかなり整っていることから、これは“ちゃんと真面目に通わなくてはいけないかもしれない”と、幼いながらに何かを察した。
一応帰国子女だった私は、まだ日本語にそこまで自信がなかったけれど、新しい生活に少なからず期待もあった。
……しかし、思っていたよりも、その“帰国子女”という特徴は子供の世界では影響が大きく、私にとっては間違いなく“壁”となった。
「柚ちゃんの話し方って、なんか変だよね」
「え……?」
「ねぇ、なんかしゃべってみて。おはようございますって、言ってみて」
入学してから一週間が経った頃。
隣の席に座っていた女子生徒に、無邪気な笑顔でそう言われた。
私は戸惑い、自分の発音がおかしいことを初めて客観的に知らされ、羞恥心で顔が熱くなるのを感じる。
黙り込んでいる私を見て、その女子生徒は、「ねぇ、はやく」と急かしてくる。
少し怒気が含まれている気がして、私は絞り出すような小さな声で、「おはようございます」と返してみる。
すると、その女子生徒は手をたたいて笑って、他のクラスメイトにも同調を求めた。
「ねぇ、やっぱり“す”の言い方、変だよねぇ、柚ちゃんって」
「なになに、もう一回言ってみてー」
数人のクラスメイトが私のことを“変わったもの”を見る目で見ている。
子供の好奇心はときに残酷で、私はその無邪気な感情に深く深く傷ついていたけれど、やめてとは言えなかった。
ただただ皆の邪気のない丸い目が恐ろしくて……、見られることが恥ずかしくて、消えてしまいたいとその時はっきりと思ったのだ。
……それから私は、もうからかわれることのないよう過ごそうとだけ心に決めて、毎日を過ごしていくことになる。
二年、三年、四年……と、クラスの隅っこに住みついて、貼り付けた笑顔だけで一日をやり過ごし、家に帰ると、両親には楽しく学校で遊んだという嘘の報告をする毎日。
その度に両親は、『本当にいい学校に受かってよかった』と喜ぶので、私は自分でついた嘘でどんどん逃げ道を失っていった。
合格を祖父と祖母が大げさに喜んでいたことと、学校の設備がかなり整っていることから、これは“ちゃんと真面目に通わなくてはいけないかもしれない”と、幼いながらに何かを察した。
一応帰国子女だった私は、まだ日本語にそこまで自信がなかったけれど、新しい生活に少なからず期待もあった。
……しかし、思っていたよりも、その“帰国子女”という特徴は子供の世界では影響が大きく、私にとっては間違いなく“壁”となった。
「柚ちゃんの話し方って、なんか変だよね」
「え……?」
「ねぇ、なんかしゃべってみて。おはようございますって、言ってみて」
入学してから一週間が経った頃。
隣の席に座っていた女子生徒に、無邪気な笑顔でそう言われた。
私は戸惑い、自分の発音がおかしいことを初めて客観的に知らされ、羞恥心で顔が熱くなるのを感じる。
黙り込んでいる私を見て、その女子生徒は、「ねぇ、はやく」と急かしてくる。
少し怒気が含まれている気がして、私は絞り出すような小さな声で、「おはようございます」と返してみる。
すると、その女子生徒は手をたたいて笑って、他のクラスメイトにも同調を求めた。
「ねぇ、やっぱり“す”の言い方、変だよねぇ、柚ちゃんって」
「なになに、もう一回言ってみてー」
数人のクラスメイトが私のことを“変わったもの”を見る目で見ている。
子供の好奇心はときに残酷で、私はその無邪気な感情に深く深く傷ついていたけれど、やめてとは言えなかった。
ただただ皆の邪気のない丸い目が恐ろしくて……、見られることが恥ずかしくて、消えてしまいたいとその時はっきりと思ったのだ。
……それから私は、もうからかわれることのないよう過ごそうとだけ心に決めて、毎日を過ごしていくことになる。
二年、三年、四年……と、クラスの隅っこに住みついて、貼り付けた笑顔だけで一日をやり過ごし、家に帰ると、両親には楽しく学校で遊んだという嘘の報告をする毎日。
その度に両親は、『本当にいい学校に受かってよかった』と喜ぶので、私は自分でついた嘘でどんどん逃げ道を失っていった。