最悪だ、と心の中で思わず嘆く。運悪く、ちょうど、成瀬君をスケッチしていたページが開かれた状態で、風が止まったのだ。行き場のない手を固まらせていると、長い指がそのスケッチブックを攫い、簡単に彼の視界に私の拙い絵が映ってしまう。
 見知らぬ女が勝手に自分のスケッチをしているなんて知ったら、気持ち悪いと思うに違いない。それに、声に出して弁明することも今の私にはできない。
 恐る恐る成瀬君の言葉を待っていると、彼は意外な反応を示した。
「なんでだよ……」
 え……?
 不思議に思い彼の顔を見上げると、彼は、彫刻のように美しい顔を崩さないまま、ぽろっと一粒の涙を溢したのだ。
 訳が、分からない。そんなに泣くほど気持ち悪かったのだろうか。それとも当たりどころが悪くどこかを痛めてしまったのだろうか。
 亡霊扱いされている私のことなんて、彼が知るはずもないのに、どうしてそんなに切なげな瞳で私のことを見つめているのか。
 どうすることもできずに、困惑した顔で固まっていると、彼はスケッチブックをそのまま私に突き返し、それ以上何も言わずに立ち去っていった。
 
 私が成瀬彗と接触したのは、この日が初めてのことだった。
 その後、私と彼は同じクラスだったことが分かるけれど、彼と交わる機会は当たり前のようにしばらくの間訪れない。
 成瀬君が涙する姿が頭の中にこびりついたまま、私は数週間を過ごすことになるのだった。