自分の八つ当たりのせいで、俺は彼女の人生を変えてしまったんだ。
 死んでも許さないと言われても仕方ないことを、俺はしたのだから。
 こんな風に怯えられながら、距離をとったまま、いつか彼女が俺のことを思い出してくれたら……、そのときは必ず、彼女の力になろう。
 俺にできることはいつだって、その人の人生から“消える”ことしかない。
「もうどうでもいい」
「え……」
「そんなこと、もうどうでもいい」
 走ることは、俺の唯一だった。
 だけど、もうそんなことはどうでもいいと、諦めることでしか受け止めることができない。
 ただ走るだけならいつだってどこでだってできるのだから。
「慧……」
 母親は、俺が母親を“安心させるような言葉”を言ってくれなかったことに不安になり、何か言いたげな表情をしていた。
 俺はそれに気づかないふりをして、古い螺旋階段をのぼり二階へと向かう。
 ベッドとテーブルと本棚以外、ほとんど物がない自分の部屋に入ると、俺は窓際にある椅子に腰かけ頬杖を突く。
 最近の家ではあまり見かけない、天井の高さほどある縦長の格子窓から、月明かりが差し込んでいる。
 俺は部屋の電気をつけないまま、その景色をただ眺めた。
 そっと目を閉じると、能力のことを打ち明けた時の、志倉の驚いたような表情が瞼の裏に浮かんだ。
 『彼は嘘や冗談を言っているわけではない』。あんなに動揺していたのに、なぜすぐにそれだけは確信してくれたのか。
 どうしてそんなに、心がまっすぐでいられるのか。
 彼女の瞳には、いったいどんな風に世界が見えているのか。
 ……教えてほしい。
 そんな風に思うことくらいは、許してもらえるだろうか。 
「志倉、柚葵……」
 なんとなく彼女の名前を口にすると、今も色褪せることのない罪悪感が浮かび上がってくる。
 彼女の声を聞いたのは、もうずいぶん前のことで、どんな声だったかも思い出せない。
 記憶と五感の関係性で考えると、最初になくなるのは「音の記憶」だと聞いたことがある。
 どうして神様は、人間をそんなつくりにしたのだろうか。自分の耳に入る人の声だけは、どんな技術を使っても完璧には再現できないというのに。
 そんな大切なものを、俺は彼女から奪ってしまったのだ。
 四月に再会したあの瞬間、志倉に対して瞬時に思ったことを、俺は今も鮮明に覚えている。