私の髪の毛が汚れそうになったくらいで、そんなに焦った反応をしてもらわなくても……という気持ちになる。
 私は何も言葉を発していないのに、彼はどうしてこんなに人の感情に、敏感でいられるんだろう。不思議に思いながら、私は“ありがとう”の手話をする。
 成瀬君は取っつきづらいときもあるけど、いつも多くの人に囲まれていて、私なんか視界に入れる余地もない人だと思っていた。
 だけど、取りたいと思っていたペンキを取ってくれたり、コミュニケーションが難しい時に間に入ってくれたり……。
 まるで自分の声が透けて見えているかのようだ。
 成績優秀で運動神経抜群で、加えて気遣いもできるだなんて、神様が贔屓しているような人間もいるんだなと、ただただ感心する。
 そんな完璧人間のような彼だから、あの日の涙のことは、きっと触れてほしくないことなんだろう。……私もそっと、胸にしまっておいてあげよう。
 そんなことを思っていると、買い出し班である南さんたちが教室に入って来た。
「成瀬ー、画用紙買ってきたよ」
「どうも」
 いつ見ても南さんは美しい。艶やかなボブは彼女の卵型の輪郭にすごく合っている。
 彼女の整った横顔をいつかモデルにして、絵を描いてみたいと思うほどだ。
 しかし、成瀬君はぶっきらぼうな態度は相変わらずで、会話のキャッチボールを続ける気がまるでない。
 そんな態度にも怯まず、南さんは成瀬君の頬にピトッと何かを当てた。
「あとこれ、成瀬がいつも噛んでるガムっ」
「……お前これ、予算で買ったの?」
「いいじゃん、これくらい。バレないっしょ? 皆には別のお菓子買ったし」
「いや、普通に買うわ。後で金渡す」
「何それ、いいのに」
「いいのにって……、お前どんな価値観してんの?」
 ボトルガムを受け取り、呆れたように言い放つ成瀬君の冷たい態度に、私はとても胃が痛くなっていた。
 なんでそんな、思ったことを全部、口に出せてしまうんだろう。
 そんな怖いこと、私は絶対できない。
 彼は人に嫌われることが怖くないのだろうか。
 私は、人に嫌われることが怖いし、誰かと関わって自分の印象を残すことすら怖い。
 でも成瀬君は、そんな私の気持ちなんて、一ミリも分からないところに存在しているんだろう。