急に辞めたにも関わらず、急に復活して、しかも学内選抜に残った成瀬君。そのせいで同級生との間に多少軋轢は生じたようだったけれど、認めてもらえるまで練習する、と今は人一倍走り込みをしている。三島君は相変わらず素直じゃない態度だけれど、成瀬君が復帰してとても嬉しそうだ。
『今日も三島君と残って練習するの?』
「そうだな。もう予選近いし」
 私もしゃがんだ状態のまま、成瀬君と目を合わせる。
 リュックを背負い黒いジャージに身を包んだ彼は、私が落としたスケッチブックをぱらぱらと開くと、ぽつりとつぶやく。
「あの日のこと、思い出すな。同じようにここでぶつかった日のこと」
 成瀬君も同じことを思い出していたのだと、思わず少し嬉しくなる。
 あの日彼は、私の絵を見て泣いたんだ。
 罪悪感そのものだった私が、自分の絵を描いていて、とても驚いたのだろう。
 彼の中でもう私への罪の意識は、完全に溶けたかというと、そうではないのかもしれない。彼の心を読むことはできないけれど、まだ成瀬君は時々切なそうな表情を浮かべるときがあるから。
 でも、私はその痛みを……時間をかけて、溶かしていきたい。
「また俺のこと書いてんの?」
 少しの間を置いて、私がこっそり描いた絵を見て、呆れたように言う成瀬君。
 バレてしまったことが恥ずかしかったけれど、私は息を巻いてこう答える。
『骨格が、美しいので!』
「ふっ、またそれか……よくわかんねぇな」
 ――その時、ふっと、成瀬君が初めて、私の目の前で屈託なく笑った。
 ずっと成瀬君の切ない顔や、苦しそうな顔や、涙する顔ばかり見ていたから、とても驚いたと同時に、何かが胸の中で弾け飛んだ。
 半月型の瞳が優しく弧を描いて、くしゃっと目が細くなっている。
 その笑顔に、彼が本当の自分を私に見せてくれているような、そんな気がした。罪悪感も何もかも、取っ払って。
 今まで、この笑顔を見るために、人生があったのかもしれない。
 大げさだけれど、そんな風に感じてしまうほど、成瀬君の笑顔がまぶしかった。
「ふふ……ふ……」
 幸せな気持ちになり、空気が抜けるようなかすかな声が、思わず口から漏れてしまう。
 まだ校内で会話をすることはできないけれど、一音程度なら出すことができるようになってきた。
 その微かな笑い声が、もう私たちしかいない廊下に響き渡っていく。
「柚葵」