それなのに、いったい、どうして……?
 戸惑っていると、柚葵はたどたどしくも自分の声で話し始める。
「あの時……心の中で強く叫んだ……。“成瀬君を忘れたくない”って本心を……。成瀬君の念を……跳ね返すように」
 嘘だ。そんな理由で跳ね返せるようなものじゃない。そんなこと、手記のどこにも書かれていなかった。
「“君は、透明になる前に、自分の気持ちを叫びなさい”……」
「え……?」
「芳賀先生のあの絵の解説の意味が……やっと分かった。そして、あの作品は……私のための作品だったってことも……」
 柚葵が言う、あの作品とは、“半透明のあなたへ”という作品だろう。
 たしかに、そんな一文が作品の解説に書いてあったような気がするけれど、それが曾祖父からの何かの伝言だったなんて、考えたこともない。ただ手記に目を通すばかりで……。
「成瀬君との記憶が透明になる前に……自分の気持ちを叫べって、芳賀先生はきっと教えたかったんだって……思ったの」
 嘘だろ。それでお互いの念が相殺されて、記憶が消えなかったとでもいうのか。
 そんな奇跡、起こってたまるか。柚葵の目にもう一度自分が映るだなんてこと、あってたまるか。
 そんなこと、絶対に許されない。柚葵のためにならない。
 怒りに近い動揺が、込み上げてくる。
「忘れたく……なかった……成瀬君の……こと……」
 目に涙を溜めながらそう言う柚葵に、俺は逃げるように汚い言葉を投げつける。
「なんでだよ……。俺のことが怖いだろ、今も聞こえてくんだよっ」
「そうだけど、でも……」
「俺はずるい人間だから、自分の罪悪感を拭うために、お前の声になるって言ったんだ。優しくしたのは自分のためだ! 本当はいつでも記憶なんて消せたのにな……!」
 感情任せに放った俺の言葉に、押し黙る柚葵。
 はらはらと舞い降りてくる雪が、視界を何度も霞ませる。
 もう痛くて、見ていたくなくて、目を背けたくて、逃げ出したくて、俺は両目を右手で覆った。
 ただ悲しいという感情が、波のように襲ってくる。
 お願いだ。嫌ってくれ。そのまま、俺みたいな人間に絶望して離れていってくれ。
 俺はもうこれ以上、大切な人を不幸になんかしたくない。もう、それしか願いはないんだよ。
 目を塞いで立ちすくんでいると、鈴のような声が再び鼓膜を揺らした。