「そうだよ。俺に幻滅しろ。もっと」
 そう言い放たれ、私はブンブンと首を横に振る。
 怖くて、逃げたくて、よく分からない涙がこみあげてくる。でも、逃げたくない。成瀬君の本心を知るまでは。
「柚葵の中で、俺のことを恨む気持ちはきっと消えないよ」
『なんで……私の気持ちを勝手に決めつけるの?』
「聞こえてくるから。柚葵の恐怖、怒りも悲しみも……全部」
 そうだ。どんな声も成瀬君には筒抜けなんだ。正直とても怖い。
 だけど、それも全部乗り越えていこうって、言ったのに。
「いつか、俺が、柚葵の声を取り戻せるかもしれないって言ったことを覚えてる?」
『覚えてる……けど、そんなの誰かに望んでない。これは私の問題だから……』
「俺はずっとこの日を待ってた。柚葵と再会した日から、ずっと」
『意味が……わからないよ』
「場面緘黙症が心因性なら、俺という“トラウマ”そのものの記憶を消せば、柚葵の声は戻ってくるかもしれない」
 成瀬君の記憶を消せば……? 
 なんで、そんなこと、言うの?
 過去に成瀬君が言っていた、ある言葉がふと蘇ってくる。
 『“救済処置”みたいなもんがなかったら、俺は今頃解剖とかされてるかもな』という言葉が、今の状況と少しずつ重なっていく。
 もしかしてその“救済措置”が、“記憶を消す”こと、なのだろうか。
「どうせ忘れるだろうから、説明しておく。柚葵の想像通り、俺は自分に関係した人の記憶を消すことができる」
『嘘……』
「嘘じゃない。額に手を置いて、俺に関する記憶の破壊を強く念じると、柚葵は次に目を開けた時には、俺を忘れてる」
 どうしてそんなに恐ろしいことを、淡々と説明できるの?
 それとも、淡々と言わなければ、何か感情が溢れてしまいそうなの?
 彼の冷たい瞳の奥が、かすかに揺れていることに気づいて、私は問いかけることをやめた。その代わり、つうっと涙が頬を伝った。
 記憶を消せるだなんて……なんて悲しい能力なんだろう。私は初めて、彼の能力に同情という気持ちを抱いた。
 ああ、彼はずっと、自分と距離が近い人を遠ざけるために、特殊な能力を使ってきたのだろう。
 自分が傷つかないためではなく、誰かを傷つけないために。
 たくさんの感情を一人で飲み込んで、わざと嫌われるようなことを言って、遠ざけてきたんだろう。
『成瀬君は、全部忘れてほしい……?』